岩佐作太郎(読み)イワサ サクタロウ

20世紀日本人名事典 「岩佐作太郎」の解説

岩佐 作太郎
イワサ サクタロウ

明治〜昭和期の社会運動家,アナキスト 日本アナキスト連盟全国委員会委員長。



生年
明治12(1879)年9月25日

没年
昭和42(1967)年2月12日

出生地
千葉県埴生郡棚毛(現・長南町)

学歴〔年〕
東京法学院(現・中央大学)〔明治31年〕卒

経歴
明治34年渡米してサンフランシスコで印刷屋を経営、アナキズムの宣伝雑誌を出版。39年カリフォルニア州バークレーで渡米中の幸徳秋水や倉持善三郎らと社会革命党を組織。大正3年に帰国、8年大杉栄らの労働運動社に参加。9年日本社会主義同盟の結成に参加、機関誌「社会主義」の責任者となる。関東大震災後は労働組合の否定など独特のアナキズム論を展開。昭和2年上海に設立された江湾国立労働大学の講師となり4年に帰国。12年日本の天皇制国家を擁護する転向論「国家論大綱」を刊行。全国労働組合自由連合会・黒色青年連盟の指導者として活躍。戦後、21年に結成された日本アナキスト連盟全国委員会委員長。25年連盟は分裂、日本アナキストクラブを結成した。他の著書に「革命断層」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩佐作太郎」の意味・わかりやすい解説

岩佐作太郎
いわささくたろう
(1879―1967)

アナキスト。千葉県に生まれる。東京法学院(中央大学の前身)卒業。1902年(明治35)渡米、社会主義者として活動し、06年幸徳秋水が渡米したのを機に社会革命党を結成した。10年大逆事件が起こると、これに抗議する「公開状」を日本に送った。18年(大正7)に帰国、しばらくしてアナキズム運動に参加。大杉栄らの死後サンジカリズムを批判して「純正アナキズム」を唱えた。27年(昭和2)には中国に渡り、中国アナキズム運動とのつながりをもった。37年刊行の『国家論大綱』は岩佐の転向を示すものとみられる。戦後は49年(昭和24)日本アナキスト連盟を結成、委員長となるが、その分裂後、岩佐ら反サンジカリズム系の人々は日本アナキストクラブを結成した。

[北河賢三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩佐作太郎」の解説

岩佐作太郎 いわさ-さくたろう

1879-1967 明治-昭和時代の社会運動家。
明治12年9月25日生まれ。アメリカへわたり幸徳秋水らと交流。大逆事件の際はアメリカから天皇に公開状をおくり抗議。大正3年に帰国し,アナーキズム運動に参加。昭和21年日本アナキスト連盟全国委員長。昭和42年2月12日死去。87歳。千葉県出身。東京法学院(現中央大)卒。著作に「革命断想」「アナーキスト回想」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「岩佐作太郎」の解説

岩佐 作太郎 (いわさ さくたろう)

生年月日:1879年9月25日
明治時代-昭和時代の社会運動家;アナキスト
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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