日本大百科全書(ニッポニカ) 「オッペンハイマー事件」の意味・わかりやすい解説
オッペンハイマー事件
おっぺんはいまーじけん
アメリカの原子爆弾製造に指導的役割を果たし、第二次世界大戦後、原子力委員会の要職を務めた物理学者オッペンハイマーが、1954年、スパイの嫌疑を受けて、国家機密に関与する資格を奪われ公職から追放された事件。事の発端は、アメリカの元上下両院合同原子力部会事務局次長によるFBI長官ならびに同部会への告発に始まる。それによれば、オッペンハイマーはソ連の指図を受け、機密情報を流し、科学者たちに働きかけ、アメリカの水爆開発を遅らせたというのである。1954年、原子力委員会は事実関係を調査審議する小委員会をつくり、4週間に及ぶ聴聞会を開き、オッペンハイマーを査問した。聴聞会には彼の研究仲間も証人としてたった。その結果、人格、交際関係、忠誠心などから判断して、政府雇用のための保安要件大統領令10450号に違反する潜在的機密漏洩(ろうえい)源であると評決された。確かにオッペンハイマーはナチスの台頭以来政治に関心を寄せ、スペイン内戦の人民支援をはじめ、共産主義者との交際があった。しかし、これらは当局もすでに認知していたことで、1953年スパイ容疑で死刑に処せられたローゼンバーグ夫妻と同様に、告発は事実無根というべきものだった。むしろ事件の内実は、オッペンハイマーが戦術核兵器を認めつつも、1949年原子力委員会一般諮問委員会の長として、アメリカが究極的兵器である水爆開発の先頭を切り、止めどもない核兵器開発競争に踏み込むべきではない、という見解をまとめたこと、あるいは1953年、アメリカの核戦略政策に批判的見解を表明したこと、それらに象徴されるような態度が科学者の間に広がることを当局が恐れ、機密漏洩に名を借りて、彼の絶大な社会的信用を失墜させようとしたところにある。事件は、政府機関に関与する科学者の自由の限界を示した。なお、1963年アメリカ政府は、原子力に関する功績で彼にフェルミ賞を与え、その名誉の回復を図ったとされている。
[兵藤友博]