ブルクハルト(読み)ぶるくはると(英語表記)Jakob Burckhardt

デジタル大辞泉 「ブルクハルト」の意味・読み・例文・類語

ブルクハルト(Jakob Burckhardt)

[1818~1897]スイス歴史家文化史家。ルネサンス文化の研究によって近代美術史学・文化史学の基礎を築いた。著「イタリア‐ルネサンスの文化」「世界史的考察」など。

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精選版 日本国語大辞典 「ブルクハルト」の意味・読み・例文・類語

ブルクハルト

  1. ( Jacob Burckhardt ヤーコプ━ ) スイスの美術史家、文化史家。バーゼル大学教授。「チチェローネ」「イタリア‐ルネサンスの文化」「ギリシア文化史」などの著書を通して、近代美術史学・文化史学の基礎をきずいた。(一八一八‐九七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブルクハルト」の意味・わかりやすい解説

ブルクハルト
ぶるくはると
Jakob Burckhardt
(1818―1897)

スイスの歴史家、文化史家。バーゼルの新教派牧師の子に生まれ、最初神学を学んだ。1839年秋以降ベルリン大学で歴史学を学び、43年論文「カール・マルテル」Karl Martelで博士の学位をとった。ベルリン時代には歴史家ランケと美術史家クーグラーFranz Theodor Kugler(1808―58)の指導を受け、多大な影響を受けた。バーゼルに戻って教授資格をとり、45年バーゼル大員外教授。47年夏、師クーグラーの『美術史綱要』の増補改訂のためにベルリンに行き、その前後の時期に二度ローマに滞在。48年から55年までバーゼルで講義活動をし、そのなかから彼の最初の主要著作『コンスタンティヌス大帝時代』Die Zeit Konstantins des Großen(1853)が生まれた。美術史上の傑作といわれる『チチェローネ』(1855)は、1853年3月から約1年間イタリア各地を巡った経験を踏まえて、イタリアの美術作品の鑑賞手引書の役割を果たした。55年秋より新設されたチューリヒの連邦工業大学美術史講座に招かれ、文学者ゴットフリート・ケラー親交を結んだ。58年から93年までバーゼル大学の正教授として活躍し、一大傑作『イタリア・ルネサンスの文化』(1860)を生んだ。この書によって、イタリアの地における近代世界の誕生を示し、個性的人間のうごめきと芸術作品としての国家を描いた。『イタリア・ルネサンスの歴史』Geschichte der Renaissance in Italien(1867)は建築芸術を対象に体系的叙述をなしたものであるが、これ以後97年に死ぬまで、彼は著書の発表をしなかった。82年にランケの後任としてベルリン大学に招かれたが、バーゼルにとどまった。死後、弟子たちにより多数の遺稿が発表された。代表的なものに『ギリシア文化史』(1898~1902)、『世界史的省察』(1905)などがある。彼は楽観的な進歩信仰を生む発展概念を退け、できごとの発展史的経過を重視せず、没時間的認識により静的な画像をとらえ、類型的なもの、反復するものを研究・叙述の中心に据えた。

[森田安一]

『柴田治三郎訳『イタリア・ルネサンスの文化』上下(中公文庫)』『藤田健治訳『世界史的諸考察』(1981・二玄社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ブルクハルト」の意味・わかりやすい解説

ブルクハルト
Jacob Burckhardt
生没年:1818-97

スイスの文化史家,美術史家。はじめ神学を研究したが,のち歴史学および美術史に転じ,とりわけベルリン大学のランケ,クーグラーに学んだ。バーゼル大学講師(1844),チューリヒ工業大学美術史教授(1855)を経て,1858-93年バーゼル大学歴史学教授。この間,ランケの後任としてベルリン大学から招聘を受けたが,辞退して故郷バーゼルを離れなかった。ブルクハルトは,学問的な文化史および美術史の創始者である。最初の主要著作《コンスタンティヌス大帝の時代》(1853)は,古代から中世への過渡期をテーマとした。しかし,イタリア旅行の体験により,関心はルネサンスに転じて,まずイタリア美術の案内書《チチェローネ》(1855)を執筆し,ついで代表作《イタリア・ルネサンスの文化》(1860)を出版した。生前の最後の刊行書《イタリア・ルネサンスの歴史》(初版1867,2版1878)は,元来イタリア・ルネサンスの建築史である。ブルクハルトによれば,美術史とは,芸術家の歴史ではなく,課題による体系的叙述であり,文化史も,できごとの叙述ではなく,状態の体系的叙述である。両者はともに,〈繰り返されるもの,恒常的なもの,類型的なもの〉を考察し,内面的に統一されている。なおブルクハルトは,予見的な時代批判者としても著名である。遺稿出版として《ルーベンス回想》(1898),《ギリシア文化史》4巻(1898-1902),《世界史的考察》(1905),《歴史的断章》(1929)がある。
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百科事典マイペディア 「ブルクハルト」の意味・わかりやすい解説

ブルクハルト

スイスの歴史家,美術史家。ベルリン大学でランケらに学び,1858年―1893年バーゼル大学教授。一時ニーチェの同僚で大きな感化を与えた。神学から美術史・文化史研究に進み,《コンスタンティヌス大帝の時代》(1853年)の古代末期から関心をルネサンスに移し,《チチェローネ》(1855年),《イタリア・ルネサンスの文化》(1860年)を発表した。歴史を一個の〈芸術作品〉と見,類型=典型を重視しつつその内的統一を体系的に叙述する方法は画期的なもの。著作はほかに,《イタリア・ルネサンスの歴史》(1867年),《ギリシア文化史》(1898年―1902年),《世界史的考察》(1905年)など。
→関連項目ウェルフリン

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブルクハルト」の意味・わかりやすい解説

ブルクハルト
Burckhardt, Jacob (Christopher)

[生]1818.5.25. バーゼル
[没]1897.8.8. バーゼル
スイスの歴史家,美術研究家。最初神学を学んだが,ベルリン大学で L.ランケに歴史学,F.クーグラーに美術史を学び,1846年より数回イタリアに旅行。古代ギリシアとルネサンス期の文化,美術の権威となる。 55年スイス連邦工業大学芸術史教授,58~93年はバーゼル大学歴史学教授として,プロシアの権力主義や愛国主義から離れ,歴史をこえて存在する恒常的なものを基盤に研究。ニーチェの知己であり,深い人間性への洞察は近代史学,美学に大きな影響を与えた。主著『イタリア・ルネサンスの文化』 Die Kultur der Renaissance in Italien (1860) ,『世界史的諸考察』 Die Weltgeschichtliche Betrachtungen (1905) 。

ブルクハルト
Burckhardt, Johann Ludwig

[生]1784.11.24. ローザンヌ
[没]1817.10.17. カイロ
スイスの東洋学者。初めドイツで学び,1806年イギリスに渡り,ロンドンとケンブリッジで学ぶ。 09年シリアに行きアラビア語を習得し,イスラム教徒の生活を体験。 12年カイロに到着。ナイル川をさかのぼり,メッカに巡礼し,メジナ,スエズ経由で 15年6月カイロに戻る。 16年春シナイ山を訪れる。サハラ横断を夢みつつ死んだ。主著"Travels in Nubia" (1819) ,"Travels in Syria and the Holy Land" (22) など。

ブルクハルト
Burckhardt, Carl Jacob

[生]1891.9.10. バーゼル
[没]1974.3.4. ジュネーブ
スイスの歴史家,随筆家。外交官をつとめ各国に駐在,ベネチアでホーフマンスタールと親交を結ぶ。 1932年ジュネーブ大学教授。 44~48年国際赤十字総裁。ヨーロッパの伝統に根ざした広い人文主義的精神の持主。すぐれた史伝『リシュリュー』 Richelieu (3巻,1935~66) や,ホーフマンスタールの回想 (48) ,彼との往復書簡集 (56) などがある。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブルクハルト」の解説

ブルクハルト
Jakob Burckhardt

1818~97

スイスの歴史家。古典主義の立場から文化史を研究し,『イタリア・ルネサンスの文化』(1860年)を著した。『世界史的考察』(1905年)には貴族主義的なペシミズムが示されている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ブルクハルト」の解説

ブルクハルト
Jakob Burckhardt

1818〜97
スイスの歴史家・美術史家
その歴史観は美的観照に貫かれ,歴史の中に恒常的・典型的なものを追究する古典主義の立場に立つ。主著『イタリア−ルネサンスの文化』『ギリシア文化史』など。

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世界大百科事典(旧版)内のブルクハルトの言及

【ニーチェ】より

…ニーチェの思想形成は,こうした19世紀ドイツ市民社会の知的状況に深く根ざしている。
[ショーペンハウアー,ワーグナー,ブルクハルトとの出会い]
 1864年ニーチェはボン大学に入り当初は母の希望もあって神学を学ぶが,すぐに古典文献学専攻に変わり,やがて師のリッチュルFriedrich Ritschl(1806‐76)の転任にともないライプチヒ大学に移る。ライプチヒで彼はショーペンハウアーの哲学を知り,ワーグナーの謦咳(けいがい)に接する。…

【普遍人】より

…多面的才能を兼ねそなえた人間。スイスの史家ブルクハルトが《イタリアにおけるルネサンス文化》(1860)のなかで,ルネサンスが生んだ万能の天才を〈普遍人uomo universale〉として特色づけて以来,広く使用されるようになった。普遍人は,特異な狭い領域にのみ才能を発揮する〈異才人uomo singolare〉と対比され,他方,狭くはないがその広さが特定の領域,たとえば学識や芸術にのみ限られる百科全書的知識人や万能芸術家とも区別される。…

【文化史】より

…1858年《ドイツ文化史雑誌》(現在の《文化史雑誌》の前身)が創刊されたが,その目的は,資料の収集とともに,文化史の方法の樹立にあった。 そのような意味での学問的な文化史の創始者は,ブルクハルトであり,その代表作《イタリア・ルネサンスの文化》(1860)は,文化史の古典と目されている。ブルクハルトの文化史の方法は,彼の美術史の方法と根本において一致する。…

※「ブルクハルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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