二条院讃岐(読み)にじょういんのさぬき

改訂新版 世界大百科事典 「二条院讃岐」の意味・わかりやすい解説

二条院讃岐 (にじょういんのさぬき)
生没年:1141ころ-1217ころ(永治1ころ-建保5ころ)

平安末期~鎌倉初期の女流歌人源三位頼政の女。二条天皇女房となり,天皇の没後藤原重頼と結婚した。建久(1190-99)ごろには後鳥羽院中宮宜秋門院に再出仕し,晩年出家。〈我袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまぞなき〉(《千載集》)が有名で,〈沖の石の讃岐〉の異名を得た。技巧の目立たない沈潜した抒情特色があり,《千載集》以下勅撰集に74首入集する。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「二条院讃岐」の意味・わかりやすい解説

二条院讃岐
にじょういんさぬき

[生]永治1(1141)頃
[没]建保5(1217)頃
平安時代後期の女流歌人。源頼政の娘。若いときから二条天皇に出仕し,永万1 (1165) 年天皇崩御後は藤原重頼と結婚,建久以後に後鳥羽天皇中宮任子 (にんし) に再出仕したが,そののち出家。家集に『二条院讃岐集』があり,『正治百首』『千五百番歌合』などに出詠し,『千載和歌集』以下の勅撰集に 45首入集。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二条院讃岐」の解説

二条院讃岐 にじょういんの-さぬき

?-? 平安後期-鎌倉時代の歌人。
源頼政の娘。二条天皇につかえた。のち藤原重頼の妻。「我が袖(そで)は汐干(しほひ)に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし」(「小倉百人一首」)により沖の石の讃岐ともよばれる。歌は「千載和歌集」「新古今和歌集」などにある。建保(けんぽ)5年(1217)ごろ,77,78歳ほどで死去。家集に「二条院讃岐集」。

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