宋哲元(読み)そうてつげん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宋哲元」の意味・わかりやすい解説

宋哲元
そうてつげん / ソンチェーユアン
(1885―1940)

中華民国軍人。字(あざな)は明軒(めいけん)。山東省楽陵県の人。1914年、馮玉祥(ふうぎょくしょう)の部下となり、1927年国民革命軍第二集団軍第四方面軍総指揮として北伐に加わった。ついで陝西(せんせい)省政府首席代理、第九師長などに就任。1930年馮玉祥、閻錫山(えんしゃくざん)が反蒋介石(しょうかいせき)戦争に敗北すると張学良配下に編入され、東北軍第三師長、中央軍第二九軍長、チャハル省主席、軍事委員会北平分会委員などの要職を歴任して、華北政界に重きをなした。1933年日本軍の熱河(ねっか)省侵入に抗戦。1935年末冀察(きさつ)政務委員会の委員長に就任した。日中間の緩衝政権の長として微妙な立場にあったが、1937年7月盧溝橋(ろこうきょう)事件が起こると、日本に抗戦する側にたった。1940年四川(しせん)省で病死した。

[石島紀之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宋哲元」の意味・わかりやすい解説

宋哲元
そうてつげん
Song Zhe-yuan

[生]光緒11(1885).10.3. 山東,楽陵
[没]1940.4.5. 四川,綿陽
中国の軍人。馮玉祥腹心の部下。 1924年国民軍師長,25年熱河都統などを歴任し,26年国民党に加入,27年北伐に参加した。 29~30年馮,閻錫山とともに蒋介石軍と戦い,敗北。のち張学良の指揮下に入り,次いで中央軍に改組され,第 29軍軍長となりチャハル (察哈爾) 省主席を兼ね,次いで冀察 (きさつ) 綏靖主任となった。 35年日本と国民政府との交渉で華北緩衝地帯化をはかり冀察政務委員会が成立するとその委員長となり,河北省主席を兼ねた。 37年7月7日盧溝橋事件が起ると宋は抗日戦を展開したが,日本の華北侵入を阻止できず,のち四川で病死した。

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改訂新版 世界大百科事典 「宋哲元」の意味・わかりやすい解説

宋哲元 (そうてつげん)
Sòng Zhé yuán
生没年:1885-1940

中国の軍人。山東省楽陵の出身。馮玉祥(ふうぎよくしよう)の部下となり,1924年第11師師長,25年熱河都統,27年北伐に参加した。29年馮玉祥の,30年閻錫山(えんしやくざん)の反蔣介石戦争に参加して敗れ,改編後の中央軍第29軍軍長となった。33年長城戦役で日本軍に勝ち,35年冀察政務委員会委員長となり約2年間日中間の緩衝的役割を担った。37年7月7日配下の29軍と日本軍の間で蘆溝橋事件が起こり,対日抗戦に転じた。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宋哲元」の解説

宋哲元 そう-てつげん

1885-1940 中国の軍人。
光緒(こうしょ)11年9月23日生まれ。馮玉祥(ふう-ぎょくしょう),のち張学良の軍に属す。1930年中央軍第二十九軍軍長。1935年日中間の緩衝政権である冀察(きさつ)政務委員会の委員長となるが,1937年配下の第二十九軍と日本軍の間で盧溝橋(ろこうきょう)事件がおきると,第一集団軍総司令として抗日戦を指揮した。1940年4月4/5日死去。56歳。山東省出身。

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367日誕生日大事典 「宋哲元」の解説

宋 哲元 (そう てつげん)

生年月日:1885年10月3日
中国の軍人
1940年没

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世界大百科事典(旧版)内の宋哲元の言及

【華北工作】より

…日本軍は華北の軍閥をとりこもうとしたが成功せず,悪評高い殷汝耕を主席に11月に非武装地帯を中心に冀東防共自治委員会(12月,冀東防共自治政府と改称)を作らせた。国民政府は殷を国賊として逮捕令を出したが,日本との衝突をさけるため12月に河北・察哈爾両省と北平(北京),天津両市を管轄する冀察政務委員会を作り,第29軍長の宋哲元を委員長とした。しかし北平の学生たちは華北分離に反対する一二・九運動を起こし,抗日救国運動を各界に広げた。…

【冀察政務委員会】より

…だがこれは成功せず,日本軍は非武装地帯内に冀東防共自治委員会を樹立させ,北平,天津でも軍事的な圧力をかけた。国民政府はこれに対処するため12月18日に平津衛戍司令・第29軍長の宋哲元を委員長に冀察政務委員会を発足させた。ともかくも華北に特別の政治機構をつくり,しかも中央から大官を送るのではなく,華北の実力者で日本側の意中の人物を長に選んだのである。…

※「宋哲元」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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