日本大百科全書(ニッポニカ) 「村松藩」の意味・わかりやすい解説
村松藩
むらまつはん
越後(えちご)国蒲原(かんばら)郡村松(新潟県五泉(ごせん)市村松地区)を居所とした外様(とざま)藩。藩祖は堀直寄(なおより)(本姓奥田)の次男直時(なおとき)で、1639年(寛永16)同郡安田3万石(新潟県阿賀野(あがの)市)に分封された。1644年(正保1)直時の子直吉(なおよし)が安田から村松に領替えとなって村松藩が成立、以後明治に及ぶ。所領は村松、七谷(ななたに)、下田(しただ)、見附(みつけ)にわたり、新開分を加え実高4万石に達し、9代直央(なおひさ)は城主格となった。村松藩制は元禄(げんろく)(1688~1704)初期には確立され、郷方法度(ごうがたはっと)が施行された。文化(ぶんか)年間(1804~18)に藩老堀玄蕃(げんば)によって藩政改革が実施され、年貢、運上諸役銭などが厳しく取り立てられたため、全藩一揆(いっき)が起きた。幕末には、守旧派と正義党の対立から、勤王派七士が処刑され、戊辰(ぼしん)戦争でも藩論を二分する結果となった。1871年(明治4)廃藩、村松県を経て同年11月、新潟県に編入。
[剣持利夫]
『『村松町史 通史編』上下(1982、83・村松町)』