20世紀日本人名事典 「森島庫太」の解説 森島 庫太モリシマ クラタ 明治〜昭和期の薬理学者 京都帝国大学名誉教授。 生年慶応4年4月7日(1868年) 没年昭和18(1943)年3月18日 出生地岐阜県 別名号=栗陰 学歴〔年〕東京帝大医科大学〔明治26年〕卒 学位〔年〕医学博士 経歴東大薬物教室で高橋順太郎教授の助手となり、明治29年ドイツ、ベルギー留学、ストラスブルク、ライプチヒ、ガン各大学で薬物学を専攻。33年帰国、京都帝大医科大教授となり、薬物学第1講座担当。評議員、医学部長を務め昭和3年退官、名誉教授。学術研究会議委員、文部省視学委員、東亜文化協議会理事、同仁会理事なども務めた。近代薬物学の功労者であり、多数の生薬有功成分を発見。賦詩、書にも長じた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「森島庫太」の意味・わかりやすい解説 森島庫太もりしまくらた(1868―1943) 薬理学者。医学博士。岐阜県出身。帝国大学医科大学卒業。助手となり1893年(明治26)ストラスブール大学薬理学教室に留学、シュミーデベルク教授に師事、マチン塩基ストリキニン鉄の生体内変化を研究。1898年帰国後、新設の京都帝国大学教授に就任、医科大学部薬理学講座を創設。漢薬石蒜(せきさん)塩基リコリンを発見、薬理・生理作用研究の基礎を確立した。京大医学部長、京大名誉教授。京大薬学科創設の貢献者である。[根本曽代子][参照項目] | シュミーデベルク 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森島庫太」の解説 森島庫太 もりしま-くらた 1868-1943 明治-昭和時代前期の薬学者。慶応4年4月7日生まれ。ヨーロッパ留学後,明治33年京都帝大教授となり,のち医学部長。多数の生薬の有効成分を発見,その薬理をあきらかにした。昭和18年3月18日死去。76歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「森島庫太」の解説 森島 庫太 (もりしま くらた) 生年月日:1868年4月7日明治時代-昭和時代の薬理学者。京都帝国大学教授;医学博士1943年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by