朝日日本歴史人物事典 「橋本市蔵」の解説
橋本市蔵(初代)
生年:文化14.2(1817)
幕末明治期の漆工。江戸八官町甘酒屋横町に鞘塗師又次郎の子に生まれ,幼名は市三郎,のちに市蔵と改める。姓名の頭文字1字ずつを取って橋市と称し「はし一」の焼印を用いる。維新後の廃刀自由令(9年廃刀令)以降,刀の鞘塗が衰退したため,竹の模様塗を考案し額縁,花生,菓子器などに応用して好評を博し,橋市の竹塗として知られた。50歳のときに遁世して頭髪を奴風に模して酔阿弥と号し,また貧民に施しをすることを喜びとした。木戸孝允,大久保利通の寵遇を受け,京都の陶工清水六兵衛と深く交わった。6年ウィーン万国博覧会有功賞牌,第1回内国勧業博覧会竜紋賞。門人の大林安三郎を養子として,2代橋市を継がせた。浅草の長泉寺に葬られている。<参考文献>『近代日本の漆工芸』
(内田篤呉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報