橋本市蔵(読み)はしもと・いちぞう

朝日日本歴史人物事典 「橋本市蔵」の解説

橋本市蔵(初代)

没年明治15.2.7(1882)
生年:文化14.2(1817)
幕末明治期の漆工。江戸八官町甘酒屋横町に鞘塗師又次郎の子に生まれ,幼名は市三郎,のちに市蔵と改める。姓名の頭文字1字ずつを取って橋市と称し「はし一」の焼印を用いる。維新後の廃刀自由令(9年廃刀令)以降,刀の鞘塗が衰退したため,竹の模様塗を考案し額縁,花生,菓子器などに応用して好評を博し,橋市の竹塗として知られた。50歳のときに遁世して頭髪を奴風に模して酔阿弥と号し,また貧民に施しをすることを喜びとした。木戸孝允,大久保利通寵遇を受け,京都の陶工清水六兵衛と深く交わった。6年ウィーン万国博覧会有功賞牌,第1回内国勧業博覧会竜紋賞。門人の大林安三郎を養子として,2代橋市を継がせた。浅草長泉寺に葬られている。<参考文献>『近代日本の漆工芸

(内田篤呉)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「橋本市蔵」の解説

橋本 市蔵(2代目)
ハシモト イチゾウ

江戸時代末期〜大正期の漆芸家



生年
安政3年(1856年)

没年
大正13(1924)年1月

出生地
江戸・芝宇田川町

旧姓(旧名)
大林

経歴
元治1年初代市蔵の門に入り、明治5年その養子となる。15年2代襲名。21年皇居造営の際、宮殿の鏡縁の竹塗をつとめ、以後は漆工の指導につとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本市蔵」の解説

橋本市蔵(初代) はしもと-いちぞう

1817-1882 江戸後期-明治時代の漆芸家。
文化14年2月生まれ。鞘塗師(さやぬりし)又次郎の子。維新後,廃刀令により鞘塗師をやめ,竹の模造塗りを考案。青竹,枯竹,煤竹(すすだけ)などの模様を菓子器,手箱,煙管(きせる)筒,杖などにほどこした。明治15年2月7日死去。66歳。江戸出身。通称は橋市。

橋本市蔵(2代) はしもと-いちぞう

1856-1924 明治-大正時代の漆芸家。
安政3年生まれ。初代橋本市蔵の門人。明治5年養子となり,15年2代を襲名。21年の皇居造営に際し宮殿の鏡縁の竹塗りを担当した。のち東京美術学校(現東京芸大)でおしえた。大正13年1月死去。69歳。旧姓は大林。幼名は安三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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