歌学方(読み)カガクカタ

デジタル大辞泉 「歌学方」の意味・読み・例文・類語

かがく‐かた【歌学方】

江戸幕府職名和歌に関する学問をつかさどった。元禄2年(1689)北村季吟湖春父子が任ぜられ、その後は北村家の世襲となる。

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精選版 日本国語大辞典 「歌学方」の意味・読み・例文・類語

かがく‐かた【歌学方】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の職名。歌道のことをつかさどる。元祿二年(一六八九)、北村季吟とその子湖春がこれに任ぜられ、以来世職となった。
    1. [初出の実例]「歌学方。北村再昌院季吟より初り候哉」(出典:随筆・瀬田問答(1790頃))

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「歌学方」の解説

歌学方
かがくかた

江戸幕府の職名。和歌に関する書物の研究や詠歌のことを担当する。3代将軍徳川家光の代には公家烏丸(からすまる)光広が江戸に滞在し詠歌の指導にあたった。1689年(元禄2)12月北村季吟(きぎん)・湖春(こしゅん)父子が召し出され,将軍家や諸家の詠歌指導にあたるようになり,季吟はこのあと歌学方として法印に叙され800石を給された。季吟のあと孫の湖元が継ぎ(家禄500石),以後北村家が世襲した。役料は200俵,はじめ寺社奉行に属したが,のち小普請組支配。

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旺文社日本史事典 三訂版 「歌学方」の解説

歌学方
かがくかた

江戸幕府の職名
1689年,将軍徳川綱吉のとき,北村季吟父子を招き,任命した。歌学を管掌した。以後,北村氏が代々この職を世襲。

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