賀茂重保(読み)かものしげやす

朝日日本歴史人物事典 「賀茂重保」の解説

賀茂重保

没年:建久2.1.12(1191.2.7)
生年:元永2(1119)
平安末期の歌人。父は賀茂別雷社神主重継。権禰宜を経て治承1(1177)年9月,別雷社神主に就任。正四位上に至る。藤木神主と号する。仁安1(1166)年経盛家歌合,嘉応2(1170)年実国家歌合,承安2(1172)年広田社歌合などに出詠。自らも歌会,歌合を主催して賀茂社歌壇を形成した。治承2年3月,藤原俊成判者に迎えて別雷社歌合を開催。俊恵とも親しく,歌林苑の有力な会衆,支援者であった。寿永1(1182)年,36名の現存歌人に賀茂社奉納の百首家集を勧進(『寿永百首』),さらに『月詣和歌集』を選した。賀茂社家には多くの歌人が出たが,そのなかでも注目すべき存在である。

(田仲洋己)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「賀茂重保」の解説

賀茂重保 かもの-しげやす

1119-1191 平安時代後期の歌人。
元永2年生まれ。賀茂別雷社(わけいかずちしゃ)の神職。治承(じしょう)2年藤原俊成を判者にむかえて「別雷社歌合」をひらき,養和2年尚歯会を開催するなど賀茂社歌壇を形成した。歌は「千載和歌集」「新古今和歌集」などの勅撰集に18首はいっている。建久2年1月12日死去。73歳。編著に「月詣和歌集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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