近角常観
ちかずみじょうかん
(1870―1941)
真宗大谷派の僧侶(そうりょ)。滋賀県長浜(ながはま)市の西源寺(さいげんじ)に生まれる。1898年(明治31)東京帝国大学哲学科を卒業。大日本仏教徒国民同盟の結成に参加し、仏教を公認教とするために1899年『政教時報』を創刊し、政治的活動を行った。翌1900年(明治33)、ヨーロッパの宗教制度視察のため池山栄吉(1873―1938)と渡欧。帰国後、1901年東京・本郷に求道学舎を開設し、雑誌『求道』を発刊。親鸞(しんらん)の『歎異抄(たんにしょう)』を広く社会に紹介した。大谷派23世大谷光演(おおたにこうえん)(1875―1943。俳号を句仏(くぶつ)という)の限定相続に際して句仏擁護論を展開し、宗門より破門処分を受けた。著書に『信仰問題』『人生と信仰』などがある。
[北西 弘 2017年7月19日]
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近角 常観
チカズミ ジョウカン
明治・大正期の僧侶(真宗大谷派)
- 生年
- 明治3年3月24日(1870年)
- 没年
- 昭和16(1941)年12月3日
- 出生地
- 滋賀県
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学文科大学哲学科〔明治31年〕卒
- 経歴
- 真宗大谷派西源寺に生まれ、宗門改革運動に参加したが、明治30年入信。33年東本願寺留学生として、欧米の宗教界を視察する。35年帰国し、求道学舎を設立。親鸞上人の信仰を大衆化させ、大正4年求道会館を設立した。昭和2年、4年の宗教法案に反対して、これを廃案させた。この間3年真宗大谷派本山革新を推進。著書に「懺悔録」「人生と信仰」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
近角常観 ちかずみ-じょうかん
1870-1941 明治-昭和時代前期の僧。
明治3年4月24日生まれ。真宗大谷派。清沢満之(まんし)らと東本願寺の宗門改革運動に参加し,明治33年欧米の宗教事情を視察。35年東京本郷に求道学舎を創設し,「歎異抄(たんにしょう)」を主にして親鸞の教えを説いた。昭和16年12月3日死去。72歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。東京帝大卒。著作に「懺悔(ざんげ)録」「人生と信仰」など。
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近角常観
ちかずみじょうかん
[生]明治4(1871).滋賀
[没]1931
真宗大谷派の僧。清沢満之の感化を受け,親鸞に対する信仰を鼓吹し,東京文京区本郷に求道学舎を創立。主著『懺悔録』 (1905) ,『人生と信仰』 (08) ,『歎異鈔講義』 (09) 。
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近角 常観 (ちかずみ じょうかん)
生年月日:1870年3月24日
明治時代;大正時代の真宗大谷派僧侶
1941年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の近角常観の言及
【嘉村礒多】より
…中学のころから文学に親しみ,とくに徳冨蘆花にひかれる。中退後,人生上の煩悶(はんもん)から宗教に,中でも浄土真宗に心を寄せ,近角常観(ちかずみじようかん)の教えを受けた。1918年に藤本静子と結婚したが,彼女の婚前の男関係を知って傷つき,悶々の日を送る。…
※「近角常観」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」