( 1 )古辞書類にはいずれも「サンゲ」とあり、江戸時代の元祿頃まではそのように発音されていたようである。
( 2 )中世において「慚愧」と共に用いられることが多く、ザンギサンゲ(「慚愧懺悔」)の形で用いられたため、この形から「懺悔(サンゲ)」が上の語の「慚愧(ザンギ)」に引かれて第一音節が濁り「ザンゲ」という形が生まれたものといわれる。
元来は仏教用語で、「さんげ」と発音する。懺はサンスクリット語のkamaの音写、悔がその意味を表す漢語である。自分の犯した罪過を悔い、神仏や他人に赦(ゆる)しを乞(こ)う行為が懺悔であるが、仏教に限らず他の宗教にも類似の行為があり、日常用語としても広く使用され、「ざんげ」と通称されている。
[赤池憲昭]
初期の仏教では布薩(ふさつ)・自恣(じし)とよばれる懺悔法が行われていた。布薩は、半月ごとに比丘(びく)が集まり、戒を唱えて罪障を数え、犯した罪があれば自発的に告白し、赦しを受ける。自恣は、夏安居(げあんご)の終わりに、比丘が互いに批判しあい、各自が懺悔する方法である。懺悔は比丘自身の修行であるが、同時に教団としての統制と一元化を図るうえで重要な役割を果たした。仏教の発展に伴い、懺悔法も各種の形式が整えられ、教理的にも体系化されてゆく。種別としては、二種懺悔、三種懺悔、三品(さんぽん)の懺悔、五種懺悔、六根懺悔などがあり、宗派別ないし出家・在家別に応じてそれぞれの方式が実践された。比丘が懺悔を行う場合には五種の作法が定められた。(1)右肩の法衣(ほうえ)を脱ぎ、(2)右膝(ひざ)を地につけ、(3)合掌し、(4)大比丘の足に礼し、(5)犯した罪の名を告げる。一方、懺悔の意味内容のうえでも分化がみられた。たとえば、三種懺悔のいう事懺(じさん)と理懺(りさん)の区別である。事懺は、身・口(く)・意の行為に表される懺悔をさし、通常の意味とほぼ同じもの。理懺は、いっさいの妄想を払い、自己の心の本性の空寂(くうじゃく)を悟ることによって、すべての罪業(ざいごう)もまた実相のないものと知り、罪を消滅する懺悔である。
懺悔の意を述べる文を懺悔文といい、長短各種のものがあるが、もっとも有名なものが略懺悔であり、次の七言四句の偈(げ)である。「我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡、従身語意之所生、一切我今皆懺悔」(われ昔より造れる諸の悪業は、皆無始の貪(どん)・瞋(しん)・癡(ち)による。身と語と意より生ずるところなり。一切をわれ今皆懺悔したてまつる)。
[赤池憲昭]
キリスト教で懺悔にあたる語は、告解(こっかい)、告白、悔改(くいあらた)めなどである。カトリックでは告解は秘蹟(ひせき)の一つで、受洗者が聴罪司祭に罪を告白して赦しを受け、償いを果たす儀式をいう。告解は、人ではなく、神に向かってなされる行為であること、また感情の誇張を極力退けるところから、告解と懺悔とは別であるというのがカトリック側の主張である。「聖霊を受けよ。あなたがたが許す罪は、だれの罪でも許され、あなたがたが許さずにおく罪は、そのまま残るであろう」(「ヨハネ伝福音書(ふくいんしょ)」20章22~23)というキリストのことばに基づき、使徒とその後継者である司教・司祭に罪を赦す権能が与えられたとしている。聖堂の一角には告解場の小部屋が設けられる。
他方、プロテスタントは、罪は告白や償いで赦されるものではないとして、告解の秘蹟を否定し、個人の内面的な悔改めを勧めたが、心の平安を求める信者については、牧師への告白を信仰への一助として認めている。
[赤池憲昭]
一般に自分が犯した罪や過ちを反省し,神仏や他人に許しを請うて,心身の苦悩からの解放を求める宗教行為。仏教語としてはサンスクリットのkṣamaに由来し,〈懺〉はその音写語,〈悔〉は意訳語で,〈さんげ〉と読む。初期の仏教教団では,殺人,盗み,姦淫,妄語の四重罪を犯したものは教団から追放されたが,それ以外の罪は大衆の前もしくは一人の個人の前で懺悔して許された。懺悔の方法は右肩の衣を脱ぎ,右ひざを地につけ,合掌して相手の比丘の足に礼し,自分の罪名をいうことから成り立っていた。また仏教経典にもとづく懺悔は,中国において〈懺法〉や〈礼懺〉という形式をとり洗練されるにいたった。これは除災招福のための道教的な卜占や呪法と結びつく一方,儒教的な礼の作法とも結びついて儀礼化したが,それらの流れを集大成したのが智顗(ちぎ)である。彼は〈六根の懺悔〉を説いたが,それは流涙悲泣して感覚器官と意識のすべて(六根)を浄化することであった。この考えは善導にいたって〈懺悔三品〉を生んだ。すなわち身体の毛穴と眼から血を流すのが上品の懺悔,毛穴から熱汗,眼から血を流すのが中品の懺悔,全身が熱くなって眼から涙を流すのが下品の懺悔である。このような仏教の懺悔法は日本に伝えられるととくに滅罪信仰と結びつき,大乗仏教以来のさまざまの懺悔法が盛んに行われるようになった。すなわち阿弥陀仏に懺悔して福利を求める〈阿弥陀悔過(あみだけか)〉,薬師如来を本尊として懺悔する〈薬師悔過〉などがそれである。
キリスト教においては,告白,告解などが懺悔の意味に用いられている。〈告白〉は一般に自己の信仰を表明することによって過去の生き方を悔い改めることであり,〈告解〉はとくにカトリックの用語で,洗礼後に犯した罪を聴罪司祭に告白して許しを受けることである。なお,日本の仏教諸宗では一般に懺悔することによって罪の消滅(滅罪)を楽観的に期待したが,浄土教の系統は懺悔の内面化と精神化に力を入れた。その点で阿弥陀信仰における懺悔はキリスト教における告白や告解と共通する側面をもっている。
→告解
執筆者:山折 哲雄
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…つづいて36年に発表された《なしくずしの死》は,同一主人公が登場する自伝的連作である。同年,セリーヌはソビエト政府の招待に応じてロシアへ旅行したが,帰国後,猛烈な反コミュニズム文書《懺悔》(1936)を発表,徹底したアナーキズム的立場を明確にする。この姿勢は,警世的な〈時事論文三部作〉の中でも受け継がれ,《虫けらどもをひねりつぶせ》(1937),《死体派》(1938),《にっちもさっちも》(1941)において,反戦・反ユダヤ・反資本主義の立場から,フランスの現状に対して歯に衣着せぬ痛罵が浴びせられる。…
…〈生きる喜び〉をおびやかす死の恐怖がトルストイを根底からゆるがした。1879年に書き始められ,〈生きる喜び〉を欺瞞(ぎまん)として断罪した《懺悔(ざんげ)》(1882年ジュネーブで刊行)は,トルストイのいわゆる〈回心〉の劇的な表現であるが,これ以後,道徳家的な面が強く現れることになる。〈山上の垂訓〉に基づき,文明の悪に抗して,オプロシチェーニエoproshchenie(簡素な農民的生活を送ること)を理想とした合理的でピューリタン的でアナーキズム的性格の濃いキリスト教――いわゆるトルストイ主義――の教義が生まれた。…
…前者は250戒を罰則の軽重によって5種あるいは8種に分けるが,そのうち最も重い罪は波羅夷(はらい)罪で,殺生,偸盗,婬,大妄語(悟っていないのに悟ったといううそ)を犯したものに対して課せられ,犯戒者は教団から追放される。その他は軽重はあってもすべて,懺悔(さんげ)によって許される。戒の条項は比丘で250,比丘尼では348とされる(部派により異なる)が,元来は随犯規制といって,その行為が問題として取り上げられるたびにしだいに増加したとされる(初犯は規定以前なので罰せられない)。…
※「懺悔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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