親鸞の語録。1巻。編者は親鸞門弟の常陸国河和田の唯円(ゆいえん)。親鸞没後の真宗教団において,師説にそむく異端の発生を嘆き,誤りをただして正統を示し,念仏者の不審を明らかにしようとしたもの。前後に序文と結びの文をもつ18章の短文で構成され,前半10章は親鸞の言葉を記し,後半8章は唯円の意見を述べ異義を批判する。本書において親鸞の宗教の特徴を的確に把握できる。例えば,第3章には〈善人なをもて往生をとぐ,いはんや悪人をや〉と,悪人こそ阿弥陀仏の救いの主対象なのだという悪人正機(あくにんしようき)説を記している。この悪人を武士,商人あるいは漁夫など特定の社会階層にあてて理解する場合があるが,親鸞はみずからを清浄心なき汚濁の悪人とし,さらには〈よろづのこと,みなもて,そらごと,たはごと,まことあることなきに〉(結びの文)と,現実世界のあらゆる存在や行為はすべて虚仮(こけ)であるとする。こうして自己の行為,さらにはその存在自体が悪であるとの自覚は,反面,生への希望をあたえ支柱となるべき真実なるものを強く求めることになる。この要請にこたえたのが,真実者である阿弥陀仏だとする。これを〈煩悩具足のわれらは,いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを,あはれみたまひて,願をおこしたまふ本意,悪人成仏のためなれば,他力をたのみたてまつる悪人,もとも往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ,まして悪人は,とおほせさふらひき〉(第3章)と悪人正機の趣旨を説明している。第5章には〈親鸞は父母の孝養のためとて,一返にても念仏まうしたること,いまださふらはず〉とある。なぜなら,自力で積んだ善行であれば父母に施して助けることもできるであろうが,そんな力はないので,〈自力をすてていそぎ浄土のさとりをひらきなば〉どんな業苦に沈んでいても,まず縁ある人を救うべきである。生きとし生けるものは,みな前生で父母であり兄弟であったのだ,人間はすべて同朋である,と主張する。第6章にも〈親鸞は弟子一人ももたず〉とあり,〈わがはからひにてひとに念仏まうさせ〉るならば弟子といえるが,仏のはからいによって念仏する人を弟子ということはできないという。
親鸞には主著《教行信証》をはじめ書簡集などもあるが,親鸞の思想を端的に示すものとして本書に及ぶものはない。本書が近代に入ってからも日本人の心をとらえるのは,その文章の流麗さもあるであろうが,いのちの琴線にふれるその思想性の深さによるものであろう。
執筆者:千葉 乗隆
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鎌倉時代の仏書。一巻。作者名を欠くが、一般には親鸞(しんらん)面授の弟子唯円(ゆいえん)の作とされ、親鸞の死後2、30年ころの成立か。親鸞没後に信徒たちの間に行われていた異端を歎(なげ)き、親鸞の伝えた真信に返そうとしてつくられたもの。全18条からなり、第10条以下が本抄のポイントであるが、さらにそれが異端であるか真信であるかを見分ける鏡として、親鸞の法語を第1条から第9条までに収めている。本抄に取り上げられている異端は八つで、そのうち二つ(第11条、第12条)はすでに親鸞在世中にあり、第13条以下の六つが親鸞滅後の段階で前面に出てきたものであろう。すなわち、〔1〕本願誇りは往生(おうじょう)できぬ、〔2〕1回の念仏に八十億劫(おくこう)の重罪が滅す、〔3〕煩悩具足(ぼんのうぐそく)の身でありながら現世で成仏(じょうぶつ)する、〔4〕回心(えしん)ということが幾度でもある、〔5〕辺地往生は堕地獄、〔6〕お布施(ふせ)の多少に従って大小仏になる、という異端である。「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」の語はよく知られており、引用されている親鸞の法語には親鸞の核心をつくものがあるが、一方、非親鸞的なものもあり、この点厳密な吟味を要する。
[松野純孝]
『妙音院了祥著『歎異鈔聞記』(『新編真宗大系 第12巻』所収・1972・法蔵館)』▽『多屋頼俊著『歎異抄新註』(1970・法蔵館)』▽『曽我量深著『歎異抄聴記』(1967・東本願寺出版部)』▽『安良岡康作訳注『歎異抄』(旺文社文庫)』
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…紀元前5世紀ころインドに出たシャーキャムニ,すなわち釈迦(しやか)によって創唱された教えで,キリスト教,イスラムと並ぶ世界三大宗教の一つ。現在,(1)スリランカ,タイなどの東南アジア諸国,(2)中国,朝鮮,日本などの東アジア諸国,(3)チベット,モンゴルなどの内陸アジア諸地域,などを中心に約5億人の教徒を有するほか,アメリカやヨーロッパにも教徒や思想的共鳴者を得つつある。(1)は前3世紀に伝道されたスリランカを中心に広まった南伝仏教(南方仏教)で,パーリ語仏典を用いる上座部仏教,(2)はインド北西部から西域(中央アジア)を経て広まった北伝仏教で,漢訳仏典を基本とする大乗仏教,(3)は後期にネパールなどを経て伝わった大乗仏教で,チベット語訳の仏典を用いるなど,これらの諸地域の仏教は,歴史と伝統を異にし,教義や教団の形態もさまざまであるが,いずれもみな,教祖釈迦をブッダ(仏)として崇拝し,その教え(法)を聞き,禅定(ぜんじよう)などの実践修行によって悟りを得,解脱(げだつ)することを目標とする点では一致している。…
※「歎異抄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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