「アフガーニー」の検索結果

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ムハンマド=アブドゥフ Muḥammad‘Abduh

旺文社世界史事典 三訂版
1849〜1905エジプトのイスラーム改革思想家カイロのアズハル学院に学び,そこで教えた。アフガーニーの影響を受けて民族運動を支える指導的ウラマー…

ムハンマド‐アブドゥフ(Muḥammad ‘Abduh)

デジタル大辞泉
[1849~1905]近代エジプトのイスラム改革思想家。アフガーニーの感化を受け民族主義運動に参加。合理主義的立場からイスラム改革に努力した。特に…

アフガーニー あふがーにー Jamāl al-Dīn al-Afghānī (1838/1839―1897)

日本大百科全書(ニッポニカ)
汎(はん)イスラム、反帝国主義思想家。イランに生まれ、シーア派の教育を受けたが、スンニー派世界での影響を考えて、アフガン人と自称した。1857~1…

ムハンマド・アブドゥー むはんまどあぶどぅー Muammad ‘Abduh (1849―1905)

日本大百科全書(ニッポニカ)
エジプトのイスラム改革者。下エジプトの農村に生まれ、アズハル大学で学んだ。1871年、アフガーニーに会って強い影響を受け、民族主義運動(アラー…

アフガーニー Jamāl al-Dīn al-Afghānī (Asadābādī)

山川 世界史小辞典 改訂新版
1838/39~97イラン生まれの革命家,思想家。列強による植民地化が進むなかで,生涯を旅に生き,イスラーム世界各地で帝国主義に抗するムスリムの団…

アフガーニー(Jamāl al-Dīn al-Afghānī)

デジタル大辞泉
[1839~1897]イスラム諸国の近代的改革運動の唱道者・組織者。イラン生まれで、アフガン人と自称。

アフガーニー Jamāl al-Dīn al-Afghānī 生没年:1838・39-97

改訂新版 世界大百科事典
イスラム改革および反帝国主義の運動の扇動家,組織者。名はジャマール・アッディーンJamāl al-Dīn。アフガン人と自称したが,イラン生れ。そのため…

アフガーニー al Afghānī Jamal al-Din

旺文社世界史事典 三訂版
1838〜97近代イスラームの思想家イラン(またはアフガニスタン)生まれ。各地を遊説してイスラーム国家の近代的改革と,ヨーロッパの侵入に対抗する…

アフガーニー

百科事典マイペディア
イラン生れのイスラム改革思想家。インド大反乱の鎮圧やムガル帝国滅亡に接してヨーロッパの脅威を感じ,イスラムの連帯と反帝国主義運動を指導。イ…

ムハンマド・アブドゥフ Muḥammad ‘Abduh

山川 世界史小辞典 改訂新版
1849?~1905エジプトのイスラーム改革思想家。アズハル学院在学中からアフガーニーに師事し,政治活動に加わる。アラービーの反乱後国外に追放され…

アフガニー(afghani)

デジタル大辞泉
アフガニスタンの通貨単位。アフガニ。

アブドゥフ `Abduh, Muḥammad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1849. ナイルデルタ地域[没]1905.7.11. アレクサンドリア近郊エジプトの法学者,近代思想家。アズハル大学(→アズハル・モスク)に学び,初めは…

サード・ザグルール Sa‘d Zaghlūl

20世紀西洋人名事典
1857 - 1927 エジプトの民族運動指導者。 元・法相。 アズハル大学時代にアフガーニーなどの思想家の影響を受け、その後法律家、官史となる。1906…

パン・イスラム主義【パンイスラムしゅぎ】

百科事典マイペディア
19世紀後半に生まれた,イスラム世界(ウンマ)を統一しようとする思想・運動に対する呼称。ヨーロッパ列強によるイスラム世界の植民地化が進む中で…

タバコ・ボイコット運動【タバコボイコットうんどう】

百科事典マイペディア
1891年―1892年イランで起こった大衆運動。1870年以降,カージャール朝イランは列強の進出に圧されて多くの利権を譲渡した。英国の投機家タルボットが…

アフマド・ハーン あふまどはーん Sir Sayyid Amad Khān (1817―1898)

日本大百科全書(ニッポニカ)
インドのムスリム思想家、社会改革家。デリーに生まれ、20歳のときイギリス政府の役人となり、のちにイギリスから「インドの星勲爵士」の称号を授与…

サンヌーア Sannū` 生没年:1839-1912

改訂新版 世界大百科事典
エジプト人劇作家,ジャーナリスト。筆名アブー・ナッダーラAbū Naḍḍāra。James Sanuaの名でも知られる。アレクサンドリアのユダヤ教徒の家庭に生ま…

パン・イスラーム主義(パン・イスラームしゅぎ)

山川 世界史小辞典 改訂新版
キリスト教国の帝国主義的侵略にさらされたイスラーム諸国の間で19世紀後半,大同団結して侵略に対抗しようと生まれた思想。提唱者はアフガーニー。…

ムザッファル・ウッディーン Muẓaffar al-Dīn Shāh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1853[没]1907.1.4.イラン,カージャール朝第5代のシャー (在位 1896~1907) 。イランをめぐるイギリスとロシアの角逐の激化に加えて,シャーの3…

アフマド・シャー・ドゥッラーニー Aḥmad Shāh Durrānī 生没年:1722-72

改訂新版 世界大百科事典
アフガニスタンのドゥッラーニー朝(1747-1842)の始祖。在位1747-72年。アフガン(パシュトゥーン)族のアブダリーAbdalī(のちにドゥッラーニーと…

アブド・アッラーフ・アンナディーム `Abd Allāh al-Nadīm 生没年:1843-96

改訂新版 世界大百科事典
エジプトのジャーナリスト,啓蒙家。アフガーニーの影響を受け,その優れた筆と弁舌を駆使して1880年代初期の民族運動の高揚に寄与した。《タリーク…

アフマッド・シャー・ドゥラーニー Aḥmad Shāh Durrānī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1722[没]1772頃アフガニスタン,ドゥラーニー朝の創始者 (在位 1747~72頃) 。ナーディル・シャーの暗殺後,その将であったアフガン系アブダリー…

汎イスラム主義 はんいすらむしゅぎ Pan-Islamism

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラム世界やイスラム諸国の統合を目ざす思想、運動または政策。[田北亮介]汎イスラム主義のおこり汎イスラム主義の思想的代表者としてはジャマ…

ドゥラーニー朝 ドゥラーニーちょう Durrānids; Durrāni(Abdālī)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アフガニスタンの王朝 (1747~1818) 。 1747年,アフシャール朝のナーディル・シャーの死後,同朝が崩壊するとアブダリー族のアフマッド・ハーン (→…

アフマド・シャー・ドゥッラーニー あふまどしゃーどぅっらーにー Amad Shāh Durrānī (?―1773)

日本大百科全書(ニッポニカ)
アフガニスタンのドゥッラーニー朝の創始者(在位1747~1773)。ヘラートのアブダーリー人、サドーザイ部の出身。アフシャール朝のナーディル・シャ…

アル・ファルガーニー あるふぁるがーにー

日本大百科全書(ニッポニカ)
→ファルガーニー

天文学集成 てんもんがくしゅうせい

旺文社世界史事典 三訂版
⇨ ファルガーニー

ムハンマド・アブドゥフ Muḥammad `Abduh 生没年:1849-1905

改訂新版 世界大百科事典
エジプトのイスラム改革思想家。ナイル・デルタの小農の家庭に生まれたが,アズハル学院に学び,1877年アズハルで講じるほか,官吏・教員養成のため…

がーにー【ガーニー,R.W.】

改訂新版 世界大百科事典

がーにー【ガーニー,G.】

改訂新版 世界大百科事典

ロディー朝 ロディーちょう Lodī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
インド,デリー・サルタナット最後の王朝 (1451~1526) 。アフガン系のロディー族がつくった王朝で,インド史上最初のアフガン系王朝。 1451年チムー…

ナーセロッディーン・シャー Nāṣer al-Dīn Shāh 生没年:1831-96

改訂新版 世界大百科事典
カージャール朝の第4代シャー。在位1848-96年。1848年に王位に就いたが,当時のイランの社会は,世直しを訴えるバーブ教徒の宗教反乱で混乱していた…

アフガン人(アフガンじん) Afghān

山川 世界史小辞典 改訂新版
アフガニスタンとパキスタン北西部に住むパシュトゥーン人の別称。ドゥッラーニー部族,ギルザイ部族などからなる。東イラン系のパシュトゥー語を話…

パシュトゥーン

百科事典マイペディア
アフガニスタンの基幹住民で全人口の60%を占める人々。自称アフガーン。パターンとも呼ばれる。アフガニスタン全域とパキスタン北西部に住み,イス…

バーラクザーイー朝(バーラクザーイーちょう) Bārakzā'ī

山川 世界史小辞典 改訂新版
1826~1973近現代アフガニスタンの王朝。ムハンマドザーイー朝ともいう。ドゥッラーニー朝宰相の弟ドースト・ムハンマド(在位1826~63)がカーブルで…

バーラージー・バージー・ラーオ Bālājī Bājī-Rāo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1721[没]1761インド,マラータ王国の3代目宰相 (ペーシュワー,在任 1740~61) 。マラータ王国の実際上の政治権力を掌握し,マラータ王国の最盛…

サンヌーア Sannū

20世紀西洋人名事典
1839 - 1912 エジプトの劇作家,ジャーナリスト。 アレクサンドリア生まれ。 アブー 筆名ナッダーラ,James Sanua。 ユダヤ教徒の家庭に生まれ、イタ…

バーラクザイ朝 (バーラクザイちょう) Bārakzai

改訂新版 世界大百科事典
アフガニスタンのパシュトゥーン族のドゥッラーニー系に属する王家。1826-1973年。アフガニスタンの建国者アフマド・シャー・ドゥッラーニーの出たサ…

パーニーパットの戦い ぱーにーぱっとのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ)
インドのデリー北方、パーニーパットPānīpatで戦われた数度の戦争をいう。有名なものは二つある。一つは1526年の戦いで、中央アジアからアフガニスタ…

アフシャール朝 アフシャールちょう Afshārids; Afshārīyah

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イランのトルコ系王朝 (1736~96) 。 18世紀初め,サファビー朝がアフガン族の侵入やオスマン帝国とロシアの攻勢の前に衰えたとき,外敵を国外に駆逐…

イスラム原理主義 いすらむげんりしゅぎ Islam Fundamentalism

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラム世界で近代化・欧米化が進むとともに、ウンマ(イスラム共同体)の伝統が崩れていくのに反発し、聖典コーランの精神に立ち返って、シャリー…

アガーニー あがーにー Kītāb 'l-Agānī

日本大百科全書(ニッポニカ)
10世紀中ごろに編まれたアラブ詩歌集の大作。編者はアブル・ファラジ・アル・イスファハーニーで、正しくは『キターブル・アガーニー』といい、『詩…

ドゥッラーニー朝(ドゥッラーニーちょう) Durrānī

山川 世界史小辞典 改訂新版
1747~1818,1839~42前近代末期のアフガニスタンの王朝。イランのナーディル・シャー暗殺に乗じて,配下のアフマド・シャー・アブダーリー(在位1747…

サード・ザグルール Sa`d Zaghlūl 生没年:1857-1927

改訂新版 世界大百科事典
エジプトの近代民族運動史上最大の指導者。農村支配者(ウムダ)の家系の生れ。アズハル大学時代,当時の思想家アフガーニーやムハンマド・アブドゥ…

パーニーパットの戦【パーニーパットのたたかい】

百科事典マイペディア
インドのパーニーパットPanipatで前後3回行われた,インド史上重要な戦い。パーニーパットはデリーの北西にあり,パンジャーブ地方の要地。1526年バ…

カンダハール Kandahār

改訂新版 世界大百科事典
アフガニスタン南部の都市。人口32万4800(2002)。Qandahārとも記される。古くからアフガニスタン国内でのパシュトゥーン族の最大の中心で,ドゥッ…

あがーにー【《アガーニー》】

改訂新版 世界大百科事典

カーシム・アミーン Qāsim Amīn

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1863. アレクサンドリア[没]1908. カイロエジプトの思想家,社会運動家。女性の解放,向上に努めた。法律専門学校卒業後パリに留学,その地でア…

イスファハーニー いすふぁはーにー Abú ‘l-Faraji al-Ifaānī (897―967)

日本大百科全書(ニッポニカ)
アラブの文学者。編著『アガーニー』で名高い。ペルシアのイスファハーンで生まれたが生粋(きっすい)のアラブ人で、ムハンマド(マホメット)に連な…

バーラクザーイー朝 バーラクザーイーちょう Bārakzāī; Bārakzā'ī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アフガニスタンの王朝 (1826~1973) 。創立者のドースト・ムハンマドが前王朝のドゥラーニー朝の宰相の家柄と定められたバーラクザーイー族の出身の…

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