ヘゼレ(英語表記)Guido Gezelle

改訂新版 世界大百科事典 「ヘゼレ」の意味・わかりやすい解説

ヘゼレ
Guido Gezelle
生没年:1830-99

ベルギーフランドル)の詩人。植木屋の子としてブリュージュに生まれた。神学を修めてカトリックの聖職者となり,神学校の教師を経て,1865年からブリュージュとコルトレイク司祭を務めた。教師時代から詩作励み,《墓地の花》(1858),《詩・歌・祈り》(1862),《時の花冠》(1893),《詩線》(1897)などで,神と自然への賛美郷土への熱烈な愛情をフランドル方言を駆使した簡素なスタイルでうたい,フランドル近代抒情詩の巨匠と仰がれるにいたった。最晩年の作品は,死後《最後の詩》(1902)におさめられた。また民俗学や言語学の業績のほか,ロングフェローの《ハイアワサ》の翻訳などもある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘゼレ」の意味・わかりやすい解説

ヘゼレ
へぜれ
Guido Pieter Theodoor Josef Gezelle
(1830―1899)

ベルギー、フランドルの詩人。詩ことばを使わないで、日常のフランドル語で書きつづった詩集『墓地の花』(1858)は、斬新(ざんしん)な試みとして注目された。リズムと語音のあやがその特徴。後期の詩集『時の冠』(1893)では、自然の甘美さと、宗教的、神秘的愛との一体化を歌い上げた。神学校の教師として人気があったが、政府の神学校教育方針と対立辺地神父となって左遷され(1871)、詩作、フランドル方言の研究に没頭、またここでロングフェローの『ハイァウァタ』(1886)を翻訳した。

[近藤紀子]

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世界大百科事典(旧版)内のヘゼレの言及

【ベルギー】より

…その先駆はド・コステルCharles De Coster(1827‐79)(《オイレンシュピーゲルの伝説と冒険》)で,1881年から《若きベルギーJeune Belgique》誌によったベルハーレン,ロデンバック,メーテルリンクなどが,象徴主義の画家たちとも交流して,その全盛時代を築いた。フラマン語では,コンシャーンスHendrik Conscience(1812‐83)が,歴史小説《フランドルの獅子》(1838)でフラマン民族の覚醒を促し,ヘゼレも抒情詩で名高い。このほかベルギーの生んだ文化人としては,シムノン(文学),C.フランク(作曲),ピレンヌ(歴史学),ケトレ(統計学),メルシエ枢機卿(カトリック哲学),ミショー(文学,絵画)が著名で,自然科学の分野では,ボルデ(細菌学),ヘイマンス(生理学)の2人のノーベル賞受賞者を出した。…

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