ベルギー西フランドル州の都市で,同州の主都ならびに司教座所在地。現地名ブリュッヘまたはブルッヘBrugge。人口11万7327(2005)。運河によって北海岸のゼーブリュッヘZeebrugge,オステンデと結ばれる。レース製作,金属・食品工業などが盛ん。9世紀ごろに築かれたフランドル伯の居城を中心とした商人・手工業者の町に起源を持ち,1127年自治権を得る。中世を通じて,フランドル伯領の首都であり,文化的にも経済的にも繁栄した。ヘントやイーペルと並ぶフランドル毛織物工業の中心地で,イギリス羊毛の輸入港,また貿易の中継地として北ヨーロッパの国際商業のかなめとなった。しかし,13世紀末からフランドル諸都市の毛織物工業が衰退し,商業も外国人の手に握られただけでなく,隣のアントワープ(アントウェルペン)の勃興によって,すっかりその繁栄を奪われた。こうして15世紀から,〈死都〉の名にふさわしい沈滞を続け,19世紀以降のベルギーの新たな経済発展の波からも取り残されてきた。中世の面影をたたえたこの古都は,現在はベルギー随一の観光都市であり,とりわけ5月第1月曜日の〈聖血祭〉には10万人を超える観光客でにぎわう。市の中央広場には,かつての栄光を象徴する毛織物検査場と鐘楼(高さ83m)がそびえ,また近くの旧城広場に面した市庁舎(14~15世紀)は,フランドルで最も美しい市庁舎の一つに数えられる。このほか,サン・サン(聖血)礼拝堂,ゴシック様式のノートル・ダム教会など,多くの古い建築が残る。また,市立美術館には,ここを舞台に活躍したファン・アイク兄弟,メムリンクなど初期フランドル派の絵画が収蔵される。なお,この町のたたずまいは世紀末の芸術家に霊感を与え,フランスの作家ロデンバックは《死都ブリュージュ》(1892)を残し,象徴主義の画家クノップフも好んでこの町の風景を描いた。第2次大戦後,ブリュージュ地域にも経済開発の波が押し寄せ,臨海工業地帯が建設中である。
執筆者:石坂 昭雄
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ベルギー北西部、西フランドル州の州都ブリュッヘのフランス語名。
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「ブリュッヘ」のページをご覧ください。
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…しかし,中世初期にはフランク王国の北西端を占め,その中核地帯には属していなかった。バイキングの侵攻からかなりの被害を受けたフランドルは,王権に代わってブリュージュやヘントに城塞を築いた有力領主のもとで,地域的結集の方向をとる。初代フランドル伯とされる9世紀末のボードゥアンBaudouin1世(鉄腕伯)から11世紀中葉までは,なお離合集散が激しかったが,12~13世紀には,地域開発政策と十字軍での活躍で著名なアルザス家のティエリーThierryやフィリップPhilippeのような名君のもとで,当時のヨーロッパで最も中央集権的な領邦を形成した。…
…【高野 紀子】
【歴史】
[中世]
中世には,現在のベルギーの領域はフランドル伯領(フランドル),ブラバント公領(ブラバント),エノー伯領,リンブルフ公領,ルクセンブルク(リュクサンブール)公領,ナミュール伯領,リエージュ司教領などに分かれ,フランドルの大部分はフランス王国に,残りは神聖ローマ帝国に属していたが,実質上は独立した邦国をなしていた。そして,このなかでもフランドルは,12世紀以来,毛織物工業の中心で,ブリュッヘ(ブリュージュ),ヘント,イーペル,コルトレイクなど多くの都市が密集し,中世の〈ブラック・カントリー〉とさえ呼ばれている。また,ブリュッヘは,イタリアやスペイン,ドイツの商人たちが集まる大商業都市で〈北欧のベニス〉とたたえられた。…
※「ブリュージュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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