八窓の席(読み)はっそうのせき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八窓の席」の意味・わかりやすい解説

八窓の席
はっそうのせき

八窓の席とか八窓庵(あん)と称される茶室はいくつかある。織部遠州の好みと伝える遺構が多く、室内に八窓を有しているが、八窓に満たないものもあり、窓が多いという特色を八窓の名で表したのであろう。

中村昌生

八窓庵

奈良国立博物館苑(えん)内の茶室。もと興福寺大乗院庭内にあり、含翠(がんすい)亭とよばれていた茶室で、1892年(明治25)現地に移された。古田織部の好みと伝えられ、内部はL字型平面の四畳台目(だいめ)、躙口(にじりぐち)の正面に点前座(てまえざ)があり、左手に床(とこ)と貴人(きにん)畳を配している。直角に配置された給仕口と茶道口、茶道口の竹の方立(ほうだて)、点前座の色紙窓、花入釘を打った墨蹟(ぼくせき)窓など、織部や遠州の好んだ手法や意匠を備えている。

[中村昌生]

八窓軒

良尚法親王によって造営された曼殊院(まんしゅいん)小書院に付属する平三畳台目の茶室。正面連子(れんじ)窓の上にさらに重ねられた下地(したじ)窓、点前座の上にまで延びた平天井などは、色紙窓とともに遠州や織部の作例に認められる手法であるが、きわめて高い床(とこ)天井、垂木(たるき)の材を取り混ぜた化粧屋根裏などには、作者の好みが示されている。

[中村昌生]

八窓席

南禅寺塔頭(たっちゅう)金地院(こんちいん)にある茶室。金地院崇伝の依頼を受けた小堀遠州が設計し、1628年(寛永5)には完成していた。内部は三畳台目、前身の建物に改造を加えてこの茶室はつくられた。窓は六窓しかない。縁から躙(にじ)り入る形式、中央にあけられた躙口、床と点前座を並べた構えなどは、遠州得意の手法である。

[中村昌生]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例