精選版 日本国語大辞典 「曼殊院」の意味・読み・例文・類語
まんしゅ‐いん ‥ヰン【曼殊院】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
天仁年間(一一〇八―一〇)の忠尋の代に曼殊院と改めたと伝え、忠尋が京都北野社の別当職を兼補されてより(観応元年四月一八日「慈厳僧正譲状」曼殊院文書)、永久年間(一一一三―一八)には房舎とは別に「竹内門跡 院宇始在北山」(曼殊院門跡次第)と、門跡院地を北山
、至
良什時
、道義取
之入
鹿苑寺内
而以
他地
、代
之授
良什
」(「続本朝通鑑」応永一一年一二月二五日条)と足利義満の北山山荘の造営によって禁裏の近辺に移された(「諸門跡譜」下巻曼殊院)。その後、文明年間(一四六九―八七)伏見宮貞常親王の子慈運法親王が、三三世住持として入寺し覚恕・良恕と代々法親王が院主となるに及んで(諸門跡譜)、宮門跡寺院となった。明暦二年(一六五六)八条宮智仁親王の子良尚法親王が院主のとき、洛中より
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区一乗寺竹ノ内町にある天台宗門跡(もんぜき)寺。竹内(たけのうち)門跡ともいう。本尊は阿弥陀如来(あみだにょらい)。最澄(さいちょう)が比叡山(ひえいざん)に建立し阿弥陀仏を安置したのを始まりとするが、寺名不明。のち是算(ぜさん)が西塔(さいとう)に移し東尾坊(とうびぼう)と称し、947年(天暦1)北野神社創立時に是算が別当(べっとう)となりここに移り、天仁(てんにん)年間(1108~10)尋忠(じんちゅう)のとき曼殊院と改称。のち北山に移り金閣寺建立のため禁裏付近に移転、文明(ぶんめい)年間(1469~87)慈運法親王(じうんほっしんのう)が入寺して門跡寺となった。1656年(明暦2)良尚法親王が現地に再建、大書院(おおしょいん)(本堂)、小(こ)書院、庫裡(くり)などが建つ。小堀遠州好みといわれる八窓席(はっそうせき)の茶室(国重要文化財)や枯山水の庭園(国名勝)は名高い。寺宝には、園城寺(おんじょうじ)の黄不動を模した「絹本着色不動明王像」、平安時代の『古今和歌集』(ともに国宝)、後奈良(ごなら)天皇宸筆(しんぴつ)の紺紙金泥般若心経(はんにゃしんぎょう)、花園(はなぞの)天皇宸翰(しんかん)御消息(ごしょうそく)、後土御門(ごつちみかど)・後柏原(ごかしわばら)両天皇御詠草(御歌巻物)、玄関障壁画『竹虎図』、池坊(いけのぼう)専好立花図、論語総略(以上、国重要文化財)などのほか、仏教典籍、古文書類も多い。
[塩入良道]
『『古寺巡礼 京都22 曼殊院』(1978・淡交社)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
アデノウイルスの感染により、発熱、のどのはれと痛み、結膜炎の症状を呈する伝染性の病気。感染症予防法の5類感染症の一。学童がプールで感染して集団発生するのでプール熱ともいう。...
11/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/26 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典を更新
10/19 デジタル大辞泉を更新
10/19 デジタル大辞泉プラスを更新
10/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新