北本市(読み)キタモトシ

デジタル大辞泉 「北本市」の意味・読み・例文・類語

きたもと‐し【北本市】

北本

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日本歴史地名大系 「北本市」の解説

北本市
きたもとし

面積:一九・八一平方キロ

県中央部北東寄りにあり、北は鴻巣市、東は同市・桶川市、西は比企郡吉見よしみ町・川島かわじま町、南は桶川市に接する。大宮台地の北西端部に位置し、台地西側を荒川が南流し、東は南東流する赤堀あかぼり川とその支流がつくった沖積地が発達する。台地中央部を川が南へ流れ、開析谷を形づくる。東部を国道一七号が南東から北西へ走り、その西側を県道鴻巣―桶川―大宮線(旧中山道)とJR高崎線が並行して縦貫、北本駅が設けられている。

〔原始・古代〕

西部の荒川に面する台地上、中央部の江川流域、東部の赤堀川流域に各時代の遺跡が数多く分布しているが、市街地は希薄である。荒川左岸台地上の遺跡は浸食によって形成された支谷の周囲に位置している。旧石器時代の遺跡では、荒井あらい八重塚やえづか遺跡(A―D区)からは石器製作跡(B区)が発見されており、チャートのフレーク、チップ、石塊など三四点が出土。このほかナイフ形石器、打製石斧(A区)、サイドブレード(B区)、ポイント(C・D区)などの石器が発掘されている。また荒井の諏訪山南すわやまみなみ遺跡でもナイフ形石器が発掘されている。縄文時代草創期・早期の遺跡は少ないが、高尾の宮岡氷川神社前たかおのみやおかひかわじんじやまえ遺跡に有舌尖頭器があり、石戸宿いしとしゆく石戸城いしとじよう遺跡で田戸式や野島式土器の破片が出土している。前期になると、高尾の宮岡II遺跡と石戸宿の横田薬師堂北よこたやくしどうきた遺跡で関山式土器がまとまって発見されている。なお宮岡II遺跡では二ッ木式土器もみられる。中期の八重塚遺跡(A区)は広い台地上に位置するところから大集落跡の可能性が高い。後期・晩期の遺跡では宮岡氷川神社前遺跡が著名で、安行各期の土器、東北地方の大洞式土器のほか、土偶・土版・耳飾などが大量に発掘されている。このほか荒川に架かる荒井橋の上流五〇〇メートルの下沼しもぬま遺跡から独木舟が二艘発見されている。弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての集落は八重塚遺跡(A区)で発掘され、在地の土器に交じって東海地方に分布圏のある欠山式土器が出土している。古墳時代前期の集落跡は八重塚遺跡(B区)があり、多くの土器のほか、祭祀に用いられた滑石製模造品や鉄片・臼玉が出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北本市」の意味・わかりやすい解説

北本〔市〕
きたもと

埼玉県中部,大宮台地にある市。 1971年市制。中心市街地の北本宿は江戸時代は中山道宿場町であり,1960年代までは農村地帯であったが,70年代になって製造業進出が顕著になり,人口も飛躍的に増大。 JR高崎線北本駅を中心に大規模な住宅団地が建設され,様相が一変した。近郊農村部では花卉温室栽培が行われる。南西部の石戸宿にある石戸蒲ザクラは天然記念物。面積 19.82km2。人口 6万5201(2020)。

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