大館持房(読み)おおだち・もちふさ

朝日日本歴史人物事典 「大館持房」の解説

大館持房

没年:文明3.9(1471)
生年:応永8(1401)
室町時代武将。満信の子。刑部少輔,刑部大輔,上総介。応永28(1421)年以後,弟持員と共に将軍足利義持,義量の近習,申次としてその名がみえる。正長1(1428)年,父満信が青蓮院義円(足利義教)を新将軍として迎える使者に立ち,持房はその行列先陣を務めた。しかしその後満信は義教の勘気を蒙り,その所領は持房に与えられた。義教の死後,満信は所領を持房から取り上げ弟持員に与えたが,持房は父の死後もその所領を取り返さなかったという。子に教幸,教氏,景徐周麟(相国寺僧禄),佐子(足利義政側室)らがいる。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大館持房」の解説

大館持房 おおだち-もちふさ

1401-1471 室町時代の武将。
応永8年生まれ。刑部少輔(ぎょうぶのしょう),刑部大輔(たいふ),上総介(かずさのすけ)。正長(しょうちょう)元年父満信が青蓮院義円(のちの足利義教(よしのり))を6代将軍としてむかえる使者にえらばれた際,行列の前駆をつとめた。娘佐子(さんご)は足利義政の側室。文明3年9月死去。71歳。通称次郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android