川北朝鄰(読み)かわきたちょうりん

精選版 日本国語大辞典 「川北朝鄰」の意味・読み・例文・類語

かわきた‐ちょうりん【川北朝鄰】

数学者江戸の人。通称彌十郎。号は有頂。御粥(みかゆ)安本内田五観(いつみ)に学ぶ。西洋数学の紹介普及尽力主著「数理起源」。天保一一~大正八年(一八四〇‐一九一九

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朝日日本歴史人物事典 「川北朝鄰」の解説

川北朝鄰

没年:大正8.2.22(1919)
生年:天保11.5.16(1840.6.15)
幕末明治期の和算家。江戸の生まれ。御粥安本,内田五観に師事して関流を修める。維新後は静岡学問所で洋学を学び,明治7(1874)年陸軍士官学校教官となる。10年東京数学会社に参加。和算家ながら洋算家に伍して会社の運営に尽力した。13年に数理書院,20年には数学協会を興し,上野清,長沢亀之助らに多数の洋書翻訳出版させる。『本朝数学家小伝』ほか和算史に関する著書もある。その蔵書東大に収蔵されている。<参考文献>日本学士院編『明治前日本数学史』5巻,『日本の数学100年史』上

(佐藤賢一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川北朝鄰」の解説

川北朝鄰 かわきた-ちょうりん

1840-1919 幕末-明治時代の数学者。
天保(てんぽう)11年5月16日生まれ。御粥安本(ごかゆ-やすもと),内田五観(いつみ)に和算をまなぶ。静岡藩学校で洋算をおさめ,陸軍士官学校でおしえた。明治13年(1880)数理書院をつくり,西洋の数学書を翻訳,出版。大正8年2月22日死去。80歳。江戸出身。字(あざな)は有頂(うちょう)。号は立亭など。名は「ともちか」ともよむ。著作に「数学起源」など。

川北朝鄰 かわきた-ともちか

かわきた-ちょうりん

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367日誕生日大事典 「川北朝鄰」の解説

川北朝鄰 (かわきたちょうりん)

生年月日:1840年5月16日
江戸時代後期;末期;明治時代の数学者
1919年没

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世界大百科事典(旧版)内の川北朝鄰の言及

【和算】より

…内田は高野長英に蘭学を学んでおり,塾の名はそこからきている。弟子には剣持章行(1790‐1871),法道寺善(ほうどうじぜん)(1820‐68),川北朝鄰(1840‐1919),その他多数の数学者がいた。法道寺は観山と号し,その観山が新しく見つけた方法であるとして,《観新考算変(かんしんこうさんぺん)》を各地に書き残している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」