急進市民連盟[アルゼンチン](読み)きゅうしんしみんれんめい[アルゼンチン](英語表記)Union Civica Radical

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

急進市民連盟[アルゼンチン]
きゅうしんしみんれんめい[アルゼンチン]
Union Civica Radical

通称急進党アルゼンチン政党。 1890年に設立された市民党の一部勢力によって 92年急進市民党として設立。 1916年の総選挙で同党の H.イリゴイェンが大統領に就任。 22年には M.T.デ・アルベアルに大統領職を譲ったが,その直後からイリゴイェン派とアルベアル派に分裂。 28年の国民投票でイリゴイェンが返り咲くが 30年一部軍部によるクーデター退陣に追込まれた。 55年の軍部によるクーデターで J.ペロンが追われたあと,それまでペロンに対抗していた急進党は国民急進党と左派急進党に分裂。 58年の総選挙では左派急進党が勝利し A.フロンディシが大統領に就任した。しかし,60年の選挙では惨敗し,さらに 62年の軍部によるクーデターでフロンディシは政権を追われることになった。その後政権から遠ざかっていたが 83年の総選挙では正義党を破り第1党となり,R.アルフォンシンが大統領に就任した。 85年の中間選挙でも正義党を破ったが,87年9月の中間選挙では正義党に敗れ第2党となった。さらに 89年5月の大統領選挙に出馬した E.アヘンロスが正義党のカルロス・サウル・メネムに惨敗する結果となった。その後 91年,93年,94年と席数を減らし,95年5月の大統領選挙にも敗れた。だが 97年 10月の中間選挙では祖国連帯戦線と野党同盟を組んで 45.7%の得票率を得,議会における正義党の議席数を過半数割れに追込み,99年 10月の大統領選挙では,野党同盟のフェルナンド・デラルア候補が正義党の E.ドゥアルデ候補を破って当選した。

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