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ペロン Perón, Juan Domingo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペロン
Perón, Juan Domingo

[生]1895.10.8. ブエノスアイレス
[没]1974.7.1. ブエノスアイレス
アルゼンチンの軍人,政治家。 1943年6月 R.カスティジョ政権打倒のクーデターで陸軍大佐として重要な役割を果し,政界に進出。労働・福祉省長官を経て,45年副大統領兼陸相。 46年大統領。反米,国家主義的な政策をとり,陸軍,警察,労働組合,ペロン党を背景に社会正義の実現をスローガンとした独裁的政治を行い,工業,銀行,鉄道の国有化をはかり,憲法を改正。 51年に再選されたが,55年9月言論弾圧や反カトリック政策などへの不満による軍のクーデターにより追放され,スペインに亡命。その後も多くの支持者を通してアルゼンチンの政治に影響を与えていたが,72年 11月ペロン派の要望により 17年ぶりに帰国。 73年9月大統領に選出されたが任期なかばで病死した。

ペロン
Perón, María Estela (Isabel) Martínez de

[生]1931.2.4. ラリオハ
アルゼンチンの政治家。踊り子出身。 1956年パナマに亡命中の元大統領 J. D.ペロンの秘書となり,1961年にスペインでペロンと結婚し3番目の夫人となった。 1973年大統領としてアルゼンチンの政界に復帰した夫ペロンの副大統領となり,1974年7月にペロンが病死すると,世界最初の女性大統領として跡を継いだ。しかし国内の治安の悪化や深刻化する経済危機を防ぎきれず,1976年3月軍部のクーデターにより失脚。5年間の自宅監禁ののちスペインへ亡命。 1983年の民政復帰の際も党務に関与しなかった。

ペロン
Perron, Charles Edgar du

[生]1899.11.2. ジャワ,メースターコルネーリス
[没]1940.5.14. ノルトホラント,ベルヘン
オランダの小説家,随筆家,評論家。 1932年 M.ブラークとともに文芸誌『フォールム』 Forumを創刊した。主著,自叙伝『生れた国』 Het land van herkomst (1935) ,詩集『パルランド』 Parlando (41) ,随筆『偏狭な人間』 De Smalle mens (34) 。

ペロン
Perón, Eva

[生]1919.5.7. ロストルドス
[没]1952.7.26. ブエノスアイレス
アルゼンチンのフアン・D.ペロン大統領の 2番目の妻。フルネーム Eva Duarte de Perón。通称エビータ。無名の女優時代を経て 1945年ペロンと結婚。1945~46年,夫が大統領選挙に出馬すると,労働者階級を親しみをこめて「デスカミサドス」(スペイン語で「シャツを着ない人々」の意)と呼んで絶大な人気を集め,当選に協力した。夫の大統領就任後は,官職にはつかなかったものの,福祉労働分野で閣僚なみの権力をふるった。労働者の大幅な賃上げを実施して労働階級層のペロン政権への支持をとりつけた一方,旧来の慈善団体に対する政府助成金を打ち切って新たにエバ・ペロン財団を設立し,上流階級層の反感を買った。財団は労働組合や企業の自発的とされる献金や国営宝くじの収益金,国庫資金といった財源をもとに運営され,数々の病院,学校,孤児院,養老院などの慈善施設を建設した。女性参政権を実現させた功績者でもあり,1949年には正義党婦人部門を結成。1951年,癌の発病にもかかわらず副大統領に指名されたが,軍の反発により辞退。死後ペロン政権への支持は衰え,敵対陣営によって遺体が盗まれるなど,政治的影響力は多大であった。

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百科事典マイペディアの解説

ペロン

アルゼンチンの軍人,政治家。国家主義的な青年将校団を指導,1943年のクーデタに参画。陸相,副大統領,労相として労働保護立法を推進,1945年一時失脚したが,労働者大衆の力で復帰し,翌年大統領となった。
→関連項目アルゼンチンイリゴージェンラ・プラタ

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世界大百科事典 第2版の解説

ペロン【Juan Domingo Perón】

1895‐1974
アルゼンチンの軍人,政治家,大統領(在任1946‐55,73‐74)。ブエノス・アイレス州ロボスに生まれ,1911年ブエノス・アイレス市の陸軍学校に入学し,職業軍人の道を歩んだ。24年大尉に昇進し,26‐29年に陸軍高等学校で軍事史を修めてから軍事史家として頭角を現し,30年同校の軍事史教授になり,《1914年の世界大戦》(1931)や《軍事史に関する覚書》(1932)を著した。39‐41年に軍事研究のためにイタリアに派遣され,ムッソリーニファシズムに共鳴して帰国。

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大辞林 第三版の解説

ペロン【Perón】

〔Eva P.〕 (1919~1952) アルゼンチンの政治家。通称、エビータ。ファン=ペロンの二人目の妻。結婚するまでは女優であったが、国民的人気を得、婦人参政権を実現させるなど大きな影響力をもった。
〔Isabelita P.〕 (1931~ ) アルゼンチンの政治家。ファン=ペロンの三人目の妻。夫の死去により、1974年大統領になるが、76年クーデターで失脚。
〔Juan Domingo P.〕 (1895~1974) アルゼンチンの政治家・軍人。1946年大統領となり、改革を推進。55年失脚。73年再び大統領。

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世界大百科事典内のペロンの言及

【アルゼンチン】より

…この憲法は実際,国の政治的安定に寄与し,1862年から1930年までは議会制度が円滑に機能していたが,1930年の軍事クーデタ以来,政治は軍政と民政が交互に繰り返される不安定な状況が続いた。この間1949年にペロン大統領のもとで憲法改正が実施されたが,1955年の同政権の崩壊後,1853年憲法が復活した。1983年に民政移管が実現してから軍の政治介入は急速に減少し,政治的な民主主義が確立されつつある。…

【ペロニスモ】より

…アルゼンチンの政治運動で,創始者J.D.ペロンにちなみ,こう呼ばれている。1943年6月4日,軍事クーデタの有力指導者だったペロンの打ち出した親労働者政策が大衆の支持を受けたことから生まれた運動で,社会正義,経済的自立,自主外交を基本的な政策路線としている。…

【ラテン・アメリカ】より

…20世紀初頭から20年代にかけて,アルゼンチンやチリやウルグアイでは,メキシコのような革命という爆発的なかたちをとらずに,漸進的ながらも中間層による政治権力への参加や労働者階級の地位の向上を実現していった。30年代初めの世界恐慌はこの地域の諸国の経済に甚大な打撃を与え,その後,アルゼンチン,ブラジル,チリ,メキシコなどは輸入代替の工業化政策をとるようになり,また,メキシコやブラジル,アルゼンチンではそれぞれ,L.カルデナスG.D.バルガスJ.D.ペロンのもとで30年代から40年代にかけて労働者階級の地位向上のため積極的な政策がとられるようになった。 一方,中央アメリカやカリブ海では20世紀初頭以来アメリカ合衆国がこの地域に積極的に進出し,この地域を自己の勢力圏とした。…

【ラ・プレンサ】より

…1869年ブエノス・アイレスでパスJosé Clemente Pazにより創刊された。1951年から4年間ペロン政権下では停刊を余儀なくされたが,55年の軍事クーデタによるペロン追放後に復刊され,保守的な独立新聞として今日に至っている。《ナシオンLa Nación》と並ぶ二大有力紙である。…

※「ペロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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