選挙などの民主的な手段ではなく、軍事力や警察力で非合法的に政権を奪う行為。語源はフランス語で「国家に対する打撃」。軍など既存の政治体制を構成する勢力が権力の掌握を目指す内部闘争で、民衆などが社会体制そのものの転換を狙う革命とは区別される。日本でも戦前の1936年、閣僚らが犠牲となった陸軍青年将校らによるクーデター未遂「二・二六事件」が起きた。会社などのトップが組織的な策略で解任される場合も、比喩として用いられる。(共同)
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「国家に対する一撃」という意味で、武力によって非合法的に政権を奪取することをいう。一般に支配階級の一部が、自己の権力をさらに強化するために、あるいは他の部分がもつ権力を奪取するために遂行される。したがって、クーデターは支配階級内部の権力の移動にすぎず、被支配階級が権力を奪取し、生産関係の変革を図る革命とは性格を異にする。ただし、革命政府に対する旧支配階級の武力による転覆活動もクーデターといわれる。
クーデターは、軍隊、警察その他の武装集団の武力行使による政権の奪取という形態をとるのが一般的であり、権力奪取に成功した場合、戒厳令の施行、議会の停止、言論の統制、反対派への弾圧などの抑圧的措置をとるのが通例である。
歴史上有名なクーデターの事例は、フランスのナポレオン・ボナパルト、ルイ・ナポレオンによってなされたものである。ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)は、1799年ブリュメール18日、武力で議会を急襲し総裁政府を打倒して、自ら第一執政となり、さらに皇帝となって独裁的地位についた。また、1851年大統領ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)は、武力によって議会を閉鎖し、その地位を強化して帝政への道を開いた。両者とも武力によって非合法的に権力を奪取し、帝政を確立して独裁体制を確立したのである。第一次世界大戦後の事例では、1922年イタリアのムッソリーニが有名なローマ進軍によって政権を奪取し、ファシスト独裁政権を樹立したのがもっとも著名である。また、日本では、1932年(昭和7)の五・一五事件、36年の二・二六事件の軍部クーデターの企ては失敗に終わったが、ファシズム体制を確立し戦争への道を進むのに一定の役割を果たした。
第二次大戦後は、第三世界諸国でクーデターが頻発している。独立以後も第三世界諸国は、帝国主義への経済的従属の構造を脱することはできず、貧困と飢餓の状態を続けている。そして、多国籍企業に依存した開発のため、農村の荒廃、都市のスラム化の進行などさまざまな社会的問題を引き起こし、民衆の不満を増大させている。しかし、民衆運動がまだ十分強力でなく現状を打開できない場合に、唯一の組織された勢力である軍隊によるクーデターという事態に至るのである。この場合、民衆運動に先手を打ち、その高揚を阻止するための反動的クーデターが通例であるが、民衆の支持に支えられた急進的将校たちによる進歩的クーデターも少なからず起こっている。進歩的クーデターによって樹立された政権は、民衆の期待に沿って一定の社会改革を行い、進歩的役割を果たす。しかし、その改革を自己の統制のもとで行い、民衆による民主的運動を制限する傾向をもつため、その進歩的役割も限界をもっていることが多い。また1973年9月のチリ人民連合政府を打倒したクーデターに典型的に示されるように、民衆運動の高揚のなかで樹立された革新的政権を打倒し、帝国主義の権益を維持するために行われるクーデターも、その事例が多い。
第二次大戦後のクーデターはほとんど第三世界諸国で起こっているが、しかし、先進諸国でも経済的・政治的危機の深化のなかでは、クーデターの危険性をはらんでいる。
[土生長穂]
『J・ウォディス著、土生長穂・河合恒生訳『クーデター』(1981・大月書店)』
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