承平天慶の乱(読み)しょうへいてんぎょうのらん

精選版 日本国語大辞典 「承平天慶の乱」の意味・読み・例文・類語

しょうへいてんぎょう‐の‐らん ‥テンギャウ‥【承平天慶の乱】

平安時代承平天慶年間(九三一‐九四七)に、平将門藤原純友東国西国でほとんど同時に起こした反乱総称。平安貴族の足もとをおびやかしたこの反乱は、律令国家崩壊と地方武士の台頭とを象徴した事件といえる。

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デジタル大辞泉 「承平天慶の乱」の意味・読み・例文・類語

じょうへいてんぎょう‐の‐らん〔ジヨウヘイテンギヤウ‐〕【承平天慶の乱】

承平・天慶年間(931~947)に起こった、平将門たいらのまさかどの反乱と藤原純友ふじわらのすみともの反乱。将門関東勢力を伸ばしたが、天慶3年(940)敗死、純友は瀬戸内海で反乱を起こしたが、天慶4年(941)敗死。律令国家の崩壊と地方武士の台頭とを象徴した事件。天慶の乱。

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改訂新版 世界大百科事典 「承平天慶の乱」の意味・わかりやすい解説

承平・天慶の乱 (しょうへいてんぎょうのらん)

10世紀前半の,東国の平将門の乱,西国の藤原純友の乱を,ほぼ同時に起きた反乱であることから,その事件の起きた年号で並称したもの。
平将門の乱 →藤原純友の乱

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世界大百科事典(旧版)内の承平天慶の乱の言及

【平将門の乱】より

…10世紀に関東で起きた反乱事件。同時に西海で起こった藤原純友の反乱とともに〈承平・天慶の乱〉,あるいは〈天慶の乱〉ともいう。下総北部を地盤としていた将門は,935年(承平5)以来,常陸西部に館をもつ一族の平国香平貞盛,良兼,良正らと合戦を繰り返していたが,939年(天慶2)11月に常陸国衙を略奪して焼き払い,国守藤原維幾らを捕らえた。…

【東国】より

…しかしすでに古墳時代,毛野(けぬ)氏などの自立的な勢力を生み出した東日本の社会は,律令国家の支配下にそのままとどまってはいなかった。9世紀後半以降,東国には〈僦馬(しゆうば)の党〉をはじめ大規模な〈群盗〉の蜂起が起こり,10世紀前半の承平・天慶の乱を通じて,平将門(たいらのまさかど)は京都の〈本天皇〉に対抗してみずから〈新皇〉と称し,坂東8ヵ国を基盤とする自立した国家を樹立したのである。この国家がごく短期間で崩壊したのち,武将たちは王朝国家の下にあって,東国土着の勢力との結びつきを強めつつその実力を蓄え,11世紀に入ると,東北にも独自な政権ないし小国家の生まれる兆しが現れてくる。…

【藤原純友の乱】より

…同年11月までには純友の与党も各地で討たれた。将門の乱とあわせ承平・天慶の乱という。【高橋 昌明】。…

※「承平天慶の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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