西国(読み)さいこく

精選版 日本国語大辞典 「西国」の意味・読み・例文・類語

さい‐こく【西国】

[1] (現代は「さいごく」とも)
① 西の方の国。〔春秋公羊伝‐僖公四年〕
近畿から見て西の地方中国四国九州地方。特に九州地方をさすことが多い。
※大鏡(12C前)四「ひとりは東国にいくさをととのへ、ひとりは西国の海に、いくつともなくおほいかだをかずしらずあつめて」
浮世草子・好色一代男(1682)五「室は西国(サイコク)第一の湊、遊女も昔にまさりて風義もさのみ大坂にかはらずといふ」
日本から見て西の方の国。特にインド天竺(てんじく)
※観智院本三宝絵(984)中「八年の冬、新羅国より仏像をたてまつれり。太子申給、『西国の聖尺迦牟尼仏の像なり』と」
④ アジアから見て西の国。西洋の国。
西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉自助論第一編序「夫西国之強。由于人民篤信天道。由于人民有自主之権。由于政寛法公
※今弁慶(1891)〈江見水蔭〉七「西国(サイコク)二十七番の、観世音の本堂より」
⑥ 「さいこくじゅんれい(西国巡礼)」の略。〔日次紀事(1685)〕
※浮世草子・鬼一法眼虎の巻(1733)二「組頭のしかまやの杢右衛門は、以前西国(サイコク)をせられ、熊野の案内は能く知らるべし」
⑦ 飯のことをいう、人形浄瑠璃社会の隠語
楽屋図会拾遺(1802)下「楽屋之占傍(せんはう)多くは操の楽屋よりいでしものなり〈略〉飯を西国(サイコク)、汁(しる)をぢんだい」
[2] (吉原を「北国」というのに対して) 江戸時代内藤新宿(東京都新宿区)の遊里をしゃれていう語。
※人情本・春色梅美婦禰(1841‐42頃)五「北国とは廓(ちゃう)の事で、西国とは当時新宿の事を言ひやす」

にし‐ぐに【西国】

〘名〙 西方に位置する国。都のある地方から見て、西の国。近畿から西方の国。西海道の国々。さいごく。
※土左(935頃)承平四年一二月二七日「また、あるひと、にしぐになれど、かひうたなどいふ」

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デジタル大辞泉 「西国」の意味・読み・例文・類語

さい‐こく【西国】

《「さいごく」とも》
西の方の国。
近畿から西の地方。中国四国九州地方。
㋑特に、九州地方。
日本の西にある国。
㋐西洋。ヨーロッパ諸国のこと。「西国立志編」
㋑インド。天竺てんじく
西国三十三所さんじゅうさんしょ」の略。
西国巡礼」の略。
「これといふがこの夏の―の御利生ごりしゃう」〈浄・重井筒

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世界大百科事典 第2版 「西国」の意味・わかりやすい解説

さいごく【西国】

古代において,東国の語は早くから用いられたが,日本列島内の地域名称としての西国の語はほとんど使用されていない。西国はむしろ,日本から見て西方の国,朝鮮半島の新羅やインド(天竺(てんじく))をさす言葉であった。畿内を基盤として成立した畿内政権,その発展である律令国家にとって,東日本はみずからと異質な地域と強く意識されていたが,西日本はこの国家の成立するまでにさまざまな交流のあった地域で,西方の異質な地域をさす西国の語は,おのずと日本列島の外の国について用いられることになったものと思われる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西国」の意味・わかりやすい解説

西国
さいごく

東国に対し、西方の諸国をさす語であるが、時代や資料によりその範囲は一定しない。近畿から西の諸国、中国、四国、九州、とくに九州の場合が多かった。鎌倉幕府の西国守護や江戸幕府の西国郡代はおおむね九州地方を含み、中世から近世にかけての西国船(さいごくぶね)も九州地方の廻船(かいせん)であるが、江戸時代の主要街道の西国路は大坂から九州小倉(こくら)に至る中国山陽道である。しかし西国三十三所の札所は近畿から岐阜に散在するなど、明確なものではなかった。

[藁科勝之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西国」の意味・わかりやすい解説

西国
さいごく

東国に対する言葉で,時代によりその範囲は異なった。古くは九州をさし,のち中国,四国地方をも含めていうようになった。鎌倉時代,六波羅探題管轄の西国とは,尾張 (のち三河) ,加賀以西の地域をさした。別に西国三十三所など中国,四国のみならず近畿地方をも含む呼び方もあった。明治以降は『西国立志編』など西洋諸国をさすこともある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西国」の解説

西国 さいこく

中村西国(なかむら-さいこく)

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世界大百科事典内の西国の言及

【尾張国】より

…尾張は頼朝挙兵当時は,その支配領域―東国の西限に組み入れられたが,86年(文治2)地頭設置をめぐる朝廷との交渉の結果,平家没官領以外の所領での地頭停止を約した37ヵ国の中に含まれ,東国からはずされた。以後一時的な変動はあったが尾張は西国の東限とされた。東西勢力の接点に位置する尾張では,承久の乱には守護をはじめ多くの御家人が宮方に参じた。…

【中世社会】より

…石井進はこれを領主制説に対する反領主制説としているが,この2潮流は相互に交錯しつつも,二つの中世社会論として現在にいたっている。 このうち領主制説が東国の実態に比重をおき,武家政権中心にその説をたて,分権的・多元的にこの社会をとらえるのに対し,反領主制説は西国(さいごく)の状況に立脚して朝廷,大寺社に焦点を合わせ,この社会の集権的・集中的な側面に注目する。前者の立場からは東国国家,東国政権の存在を主張し,鎌倉幕府,江戸幕府の成立にそれぞれ中世,近世の起点を求める見方がでてくるが,南北朝の動乱の社会的・政治的意義を重視し,室町幕府の確立に封建国家成立の重要な画期を見いだす見解は,どちらかといえば後者の説に親近性をもつといえよう。…

【東国】より

…このように東国の範囲は,幕府と朝廷,鎌倉と京都との間の力関係に応じて多少の変動はあったが,おおよそ三河・信濃・越後以東については東国とする意識が強かったとみられる。
[東国と西国]
 佐藤進一が第2次大戦前すでに〈東国行政権〉と規定した,鎌倉幕府のこの地域に対する権限は,国衙に対する支配権,国の境あるいは2本所間の境相論(さかいそうろん)の裁判権,棟別銭(むなべちせん)賦課を含む交通路支配権などの統治権的,地域的な支配権であり,元号の制定,官位の叙任権は王朝の手に掌握されていたとはいえ,これを東国国家と規定することは十分に根拠があるといってよい。事実,元号については,頼朝のときの治承5,6,7年,幕府最末期の元徳3,4年など王朝の元号と異なる元号(異年号)が使用され,官位についても,幕府は御家人たちに強い規制を加えていたのである。…

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