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平将門の乱 たいらのまさかどのらん

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大辞林 第三版の解説

たいらのまさかどのらん【平将門の乱】

平安中期、関東に起こった内乱。平将門は、939年常陸・下野・上野の国府を占領、一時関東を支配下において新皇を称したが、940年平貞盛・藤原秀郷らに討たれた。同時期の瀬戸内海における藤原純友の乱とともに承平・天慶の乱という。

出典|三省堂
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世界大百科事典 第2版の解説

たいらのまさかどのらん【平将門の乱】

10世紀に関東で起きた反乱事件。同時に西海で起こった藤原純友の反乱とともに〈承平・天慶の乱〉,あるいは〈天慶の乱〉ともいう。下総北部を地盤としていた将門は,935年(承平5)以来,常陸西部に館をもつ一族の平国香平貞盛,良兼,良正らと合戦を繰り返していたが,939年(天慶2)11月に常陸国衙を略奪して焼き払い,国守藤原維幾らを捕らえた。この直接の原因としては,将門を頼って常陸から下総にのがれた藤原玄明を助けるため国軍と衝突することになったとする説と,国守維幾の子為憲が将門の仇敵貞盛と結んで将門を挑発したことに中心をおく説とが,ともに《将門記》にみえる。

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世界大百科事典内の平将門の乱の言及

【甲冑】より

…ことに東国では各地に牧があり,馬が飼われ武力が蓄えられていたが,運送に従った業者が〈僦馬(しゆうば)の党〉と呼ばれる群盗となって横行するなど治安が乱れ,騎馬と弓射を中心とする戦闘が各地に行われた。武士団として最初の大規模な反乱となった平将門の乱(935‐940)では,将門が常陸の国府を襲って武器を奪い,馬の機動性を利した弓射戦によって短時日のうちに関東を制圧した。また前代から引き続き行われてきた東北の経営は,弓馬の戦闘に長じた〈蝦夷〉によって失敗を繰り返していたが,東国武士団の成長とともに彼らが動員され,いっそう騎射の戦闘が重要となった。…

【常陸国】より

…桓武天皇の曾孫高望(たかもち)王(のち賜姓により平高望となる。桓武平氏の祖)が9世紀の末ごろ上総介として赴任し,そのまま土着して東国地方に勢力を植えつけ,その子国香(くにか)は常陸大掾(だいじよう),鎮守府将軍となってこの地方に力を伸ばしたが,935‐940年(承平5‐天慶3)一族の内紛がこじれて,下総,常陸を主たる舞台とする平将門(まさかど)の乱が起こり,京都の貴族たちに衝撃を与えた。中央から遠く隔たったこの地方では,私営田の開発・経営,荘園の発達,私的武力の成長,豪族の有力化など,次の時代への動きが急速に展開した。…

【平安時代】より

…ただ〈延喜の治〉とたたえられた治績も,格式や国史の編纂などに律令政治の最後の花を咲かせたのにとどまり,有名な荘園整理令も,これを境として中央政府の地方支配を後退させた。醍醐の没後まもなく起きた平将門の乱藤原純友の乱は,朝廷に大きな衝撃を与えたが,これを〈承平・天慶(てんぎよう)の乱〉と名づけて,歴史の転換の標識とするのも理由なしとしない。946年(天慶9)即位した村上天皇は,朱雀朝以来の関白藤原忠平が没すると,摂関を置かず,忠平の2子実頼・師輔兄弟を左右大臣に配し,醍醐皇子重明親王や源高明を重用し,それらの協調の上に20年に及ぶ宮廷の平和と安定をもたらし,後世〈天暦(てんりやく)の治〉とうたわれる治世を現出した。…

※「平将門の乱」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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