捨目師(読み)しゃもくし

改訂新版 世界大百科事典 「捨目師」の意味・わかりやすい解説

捨目師 (しゃもくし)

奈良時代伎楽面作者。生没年不詳。正倉院東大寺にのこる奈良時代の伎楽面中5面にその名が記されている。年代は明確ではないが,その作風から,やはり752年(天平勝宝4)の大仏開眼供養会前後に活躍した作家と考えられる。将李魚成(しようりぎよせい),基永師(きえいし),延均師(えんきんし)ら,この時代を代表する作家群に伍するものであろう。
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朝日日本歴史人物事典 「捨目師」の解説

捨目師

生年:生没年不詳
奈良時代の伎楽面作者。正倉院および東大寺にはその名が記された木彫の伎楽面が5面遺っているが,年代の記載はない。5面は正倉院蔵が酔胡従2面,東大寺蔵が師子児,呉公,太孤児の3面で,これらに認められるやや面長ながら自然な表情,およぴ卓越した技量は,東大寺大仏の開眼供養会面を制作した相(将)李魚成や基永師,延均師などと肩を並べるものがあり,同期に活躍した人物のひとりとみなされる。<参考文献>石田茂作『正倉院伎楽面の研究』,正倉院事務所編『正倉院の伎楽面』

(浅井和春)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「捨目師」の解説

捨目師 しゃもくし

?-? 奈良時代の伎楽面(ぎがくめん)師。
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年(752)の東大寺大仏開眼会(かいげんえ)のころ活躍。正倉院蔵の酔胡(すいこ)従2面,東大寺蔵の師子児(ししこ),呉公,太孤児3面に銘がみえる。

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