清水理兵衛(読み)きよみず・りへえ

朝日日本歴史人物事典 「清水理兵衛」の解説

清水理兵衛

生年生没年不詳
江戸前期の古浄瑠璃太夫。姓は「しみず」とも読んだが,『外題年鑑』(1757)の振りがなに従う。大坂で活躍。本業は安居天神南の料理屋の主人井上播磨掾弟子播磨掾の死後「今播磨」といわれ,すすめられて一座を組んだこともあったが続かなかった。延宝4(1676)年,理兵衛の一座の旗揚げ「上東門院」の興行は,天王寺五郎兵衛,すなわちのちの竹本義太夫(筑後掾)がワキとして初めて床に上ったことで知られる。ワキ語りが評判になり,義太夫は京の宇治加賀掾に招かれた。

(竹内道敬)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「清水理兵衛」の解説

清水理兵衛 きよみず-りへえ

?-? 江戸時代前期の浄瑠璃太夫(じょうるりたゆう)。
大坂の料亭の主人で,井上播磨掾(はりまのじょう)の門弟。師の没後は「今播磨」とよばれ,延宝4年(1676)新作「上東門院」を上演。弟子の五郎兵衛(のちの初代竹本義太夫)に口伝奥義(くでんおうぎ)をつたえた。姓は「しみず」とも。

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世界大百科事典(旧版)内の清水理兵衛の言及

【浄瑠璃】より

井上播磨掾は大坂浄瑠璃操りの開祖といわれ,特徴は段物集《忍(しのび)四季揃》などにうかがわれる。門下に清水(きよみず)理兵衛(義太夫の師)と井上市郎太夫がある。前述の大坂二郎兵衛,大坂源太夫,道具屋吉左衛門,木屋七兵衛,表具屋又四郎,難波規明太夫,規明新太夫などを当流浄瑠璃への過渡期にみる。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」