甲申の変(読み)こうしんのへん(英語表記)Jia-shen; Chia-shên

精選版 日本国語大辞典 「甲申の変」の意味・読み・例文・類語

こうしん【甲申】 の 変(へん)

[一] 中国、明末の李自成の乱による政変。一六四四年(甲申の年)北京が陥落し、毅宗自殺、李自成は帝位についたが五〇日足らずで呉三桂と清兵に追われて西安に逃れた。
[二] 明治一七年(一八八四)(甲申の年)朝鮮独立党漢城において日本と結託して起こした政変。洪英植、金玉均らは王宮を占領したが、二日後、事大党と清兵の反撃をうけて失敗。このあと、日・清間の天津条約で日清両軍の撤兵と、以後出兵には通告することが規定された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「甲申の変」の意味・わかりやすい解説

甲申の変
こうしんのへん
Jia-shen; Chia-shên

中国,明末の農民指導者李自成が北京を占領し,明朝を滅亡させた政変 (→李自成の乱 ) 。陝西の西安に大順国を建てた李自成は,崇禎 17 (甲申,1644) 年1月北京進撃を開始,3月 18日には北京城彰義門外に達し,同夜半には早くも内城を陥れた。崇禎帝 (毅宗) は2人の王子を脱出させ妃皇女らを斬って自殺,明朝は滅亡した。しかし李自成も入城後わずか1ヵ月あまりで,明の降将呉三桂らに導かれた清軍の侵攻を受けて,北京を放棄し西安に逃れた。

甲申の変
こうしんのへん

京城事変」のページをご覧ください。

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