コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

李自成 リジセイ

5件 の用語解説(李自成の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

り‐じせい【李自成】

[1606~1645]中国、末の農民反乱の指導者。米脂(陝西(せんせい)省)の人。1628年、陝西地方に大飢饉が起こると反乱に加わってその首領となり、各地を転戦して、1643年には新順王を称し、西安を占領。翌年、北京を攻略して明を滅ぼすが、呉三桂の攻撃に敗退、湖北で殺害された。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

李自成【りじせい】

中国,朝を滅ぼした反乱軍の首領。陝西省の貧農出身。1628年の陝西飢饉(ききん)による反乱続発の際に乱徒に投じ,のち首領となって闖(ちん)王と称した。明軍に敗れたのち四川で再起。
→関連項目呉三桂

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

りじせい【李自成 Lǐ Zì chéng】

1606‐45
中国,明末の農民反乱指導者。陝西省米脂の貧農出身。若いころは牧童などをしたが,のち駅卒となった。しかし駅站の廃止によって失業した彼はついで兵隊となった。おりしも1628年(崇禎1)ころ陝西地方には干ばつによる大飢饉が起こり,各地で飢餓農民の暴動が発生していた。彼は食糧の欠配などのため不満をたかめていた兵隊を率いて反乱に加わった。初期の反乱指導者は王嘉胤(おうかいん)であったが,彼が明軍に討たれたあと,高迎祥が反乱軍を率い,李自成はその下で隊長となり闖将(ちんしよう)と呼ばれた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

りじせい【李自成】

1606頃~1645) 中国、明末の農民反乱の指導者。陝西地方の大飢饉ききんによる反乱軍に加わり、のちその首領となって西安を占領して都とし、闖王ちんおうと称して国号を大順とした。北京を攻略し、明を滅ぼしたが、呉三桂の軍と清軍に攻撃され、自殺。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李自成
りじせい
(1606―1645)

中国、明(みん)末の農民反乱の指導者。米脂(べいし)(陝西(せんせい)省)の農民出身。彼の生家は小地主であったともいわれるが、明朝の政治的腐敗と過酷な税によって没落、破産し、牧夫ののち駅卒となったが失業、兵隊になった。おりしも1628年、陝西地方に大飢饉(ききん)が起こり、飢餓農民の反乱が起こった。彼は飢兵を率いて反乱に参加、まもなく高迎祥(こうげいしょう)のもとで隊長となり、闖将(ちんしょう)とよばれた。36年高迎祥の戦死後は一方の首領となり闖(ちん)王を称し、他の首領たちの投降後も活動を続け、40年河南省に入るとふたたび強勢となり、李巌(りがん)、牛金星ら読書人層の参加をも得るに至った。自成は彼らの建言により「貴賤(きせん)にかかわらず田を均(ひと)しくし、3年間徴税をしない」という民生策を掲げ、「殺人せず、愛財せず、姦淫(かんいん)せず、略奪せず」と唱えて軍規を厳しくし、民衆の支持を得た。やがて43年には襄陽(じょうよう)(湖北省)で新順王を称し、西安を占領、翌年には国号を「大順」、年号を「永昌(えいしょう)」と定め、官僚制度を設け国家体制をつくるや、東征軍をおこし、3月、山西を経て北京(ペキン)に入城し、明の崇禎(すうてい)帝を自殺させた。しかし満州軍の援助を得た呉三桂(ごさんけい)軍の進攻の前に敗退し、北京を捨てて西に逃れ、45年湖北の山中で地主武装軍に殺された。しかし彼の残存勢力はのち各地で反清(しん)闘争を続行した。[谷口規矩雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の李自成の言及

【崇禎帝】より

…とくに西北辺境では,明朝の駅伝削減により失業した駅夫や,食糧欠配に悩んだ兵士が,この反乱に加わり反乱の勢力は急速に拡大した。この反乱の中から李自成,張献忠らの力が台頭し,それぞれ大勢力を築きあげた。やがて李自成は西安を占領すると,ここを本拠として明朝討伐軍をおこしたが,明朝の将軍たちはつぎつぎ李自成に投降した。…

※「李自成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

李自成の関連キーワード赤眉の乱捻軍黄巣呉広陳勝プガチョフЛобное местоジャックストロー黄瀬平治清水半平

李自成の関連情報