防府天満宮(読み)ホウフテンマングウ

デジタル大辞泉 「防府天満宮」の意味・読み・例文・類語

ほうふ‐てんまんぐう〔ハウフ‐〕【防府天満宮】

山口県防府市にある神社。祭神菅原道真。道真が没した翌年の延喜4年(904)創建。古くは松崎天満宮・宮市天満宮などと称されたが、昭和28年(1953)に現名称に改めた。

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日本歴史地名大系 「防府天満宮」の解説

防府天満宮
ほうふてんまんぐう

[現在地名]防府市松崎町

天神てんじん山の南麓に鎮座し、古くは松崎まつざき天神・松崎神社などと称した。祭神は菅原道真を祀り、ほかに天穂日命・武夷鳥命・野見宿禰を配祀する。旧県社。

社伝によれば延喜元年(九〇一)菅原道真が筑紫へ配流される途中、勝間かつま浦に着岸し、粗末な漁人の苫屋で一夜を明かした。その折美しいこの地の風景に心を慰め、身は筑紫の地に隠れても、魂魄はこの地に帰るといい残した。延喜三年春、道真が大宰府(現福岡県筑紫郡太宰府町)で他界すると、光明が勝間の海上に現れ、酒垂さかたり(現天神山)に瑞雲がたなびいたという。時の国司は随喜の思いをなし、この地に社殿を建立、松崎の社と号したという(松崎天神縁起)。ゆえに創建は延喜四年、各地の天満宮のうち最古の社といわれる。

その社名は資料の時代によってまちまちで、正元―文永(一二五九―七五)の頃は「天神宮」、応長元年(一三一一)縁起絵巻表題が「松崎天神」、文中には「太政威徳天之神」「松崎の社」とあり、文明一一年(一四七九)一〇月一五日付の大内政弘の文書には「松崎酒垂山天満宮」とみえ、享禄三年(一五三〇)一〇月一四日付の遷宮文書に「松崎天満宮」の名がみえる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「防府天満宮」の意味・わかりやすい解説

防府天満宮
ほうふてんまんぐう

山口県防府市松崎町に鎮座。菅原道真(すがわらのみちざね)と、その祖天穂日命(あめのほひのみこと)・武夷鳥(たけひなとり)命・野見宿禰(のみのすくね)を祀(まつ)る。901年(延喜1)菅原道真は左遷され大宰府(だざいふ)へ向かう途中、当地勝間の浦に着船、時の周防(すおう)国国司土師信貞(はじのぶさだ)は同族であったので、これを迎え1日松崎の地に招いたことで、道真の薨後(こうご)すぐこの地に神廟(しんびょう)を建てたことに始まる。古くは松崎天神と称した。例祭12月5日、ほかに旧10月15日の御神幸祭(裸坊(はだかぼう)祭)、2月節分日の牛替(うしかえ)神事など特殊神事が多く、紙本着色『松崎天神縁起』六巻(国の重要文化財)のほか、宝物も多い。

[鎌田純一]


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防府市歴史用語集 「防府天満宮」の解説

防府天満宮

 神社に伝わる言い伝えでは、904年に菅原道真[すがわらのみちざね]の霊をなぐさめるために建てられたと言われています。その後、何度か建てかえられて、現在まで残っています。つくられた当初は松崎天神[まつざきてんじん]と呼ばれていました。

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デジタル大辞泉プラス 「防府天満宮」の解説

防府天満宮

山口県防府市にある神社。“防府”は「ほうふ」と読む。延喜年間の創祀。祭神は菅原道真公、天穂日命(あめのほひのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)、野見宿禰(のみのすくね)。菅原道真が没した翌年に建てられた最初の天満宮。

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事典・日本の観光資源 「防府天満宮」の解説

防府天満宮

(山口県防府市)
日本三天神」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の防府天満宮の言及

【防府[市]】より

…佐波川河口と海岸部は,江戸時代に次々と干拓されて新田や塩田が開かれた。天神山の南麓に鎮座する松崎天満宮(現,防府天満宮)は北野・太宰府両天満宮とともに日本三天神の一つとされる。その鳥居前の町としてにぎわった宮市は,近世には中国路の宿駅として栄え,本陣の兄部(こうべ)家は中世より周防相物(あいもの)座の長をつとめたと伝える。…

※「防府天満宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」