馬場資幹(読み)ばば・すけもと

朝日日本歴史人物事典 「馬場資幹」の解説

馬場資幹

生年生没年不詳
鎌倉前期の常陸(茨城県)の武将。常陸平氏吉田流。家幹の次男源頼朝が鎌倉に政権を樹立してから頼朝に属し,建久1(1190)年11月頼朝上洛の際,先陣に加わった『吾妻鏡』の記事が史料上の初見。同4年同族の多気義幹が常陸守護八田知家の謀略によって失脚したあと,その所領常陸大掾職とを与えられた。以後,本拠水戸から国府(石岡市)に移し,北条氏に結びつきながら守護八田氏に対抗して常陸南部に勢力を張った。常陸大掾職は資幹の子孫の世襲するところとなった。<参考文献>『水戸市史』上,『茨城県史/中世編』

(新田英治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「馬場資幹」の解説

馬場資幹 ばば-すけもと

?-? 鎌倉時代の武将。
「吾妻鏡(あづまかがみ)」によれば,建久元年(1190)京都におもむいた源頼朝にしたがったという。4年多気義幹(たけ-よしもと)の失脚で,頼朝からその所領と常陸大掾(ひたちのだいじょう)職をあたえられる。建保(けんぽ)2年(1214)常陸府中(茨城県石岡市)の地頭となった。

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