アイドゥ(英語表記)Aidoo, Ama Ata

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイドゥ」の意味・わかりやすい解説

アイドゥ
Aidoo, Ama Ata

[生]1942.3.23. イギリス領ゴールドコースト(現ガーナ),ソルトポンド近郊アベアジキヤコル
[没]2023.5.31. ガーナ,アクラ
アマ・アタ・アイドゥ。ガーナの女性詩人,劇作家,短編小説家。フルネーム Christina Ama Ata Aidoo。現代アフリカ女性の相矛盾する複雑な立場を英語で力強く描いた。
ガーナ大学在学中に本格的に執筆活動を開始し,1964年卒業。故郷に帰ったガーナ人留学生が,アフリカ系アメリカ人の妻を抑圧的な伝統文化や拡大家族のなかに押し込むという問題劇『幽霊ディレンマ』The Dilemma of a Ghost(1965)で高い評価を得た。二人の登場人物の間のディレンマは半自伝的な実験的第一作『アワ・シスター・キルジョイ』Our Sister Killjoy; or, Reflections from a Black-Eyed Squint(1966)のなかにも反映され,「ビーントゥ been-to」(海外留学経験のあるアフリカ人)に対するアイドゥの特別な関心を示している。また彼女自身,奨学生としてカリフォルニア州スタンフォード大学で学び,帰国後の 1970~82年にはケープコースト教鞭をとり,その後アメリカ合衆国ケニアで客員教授を務めている。
短編小説集『ここに,優しさはない』No Sweetness Here(1970)では,声に出して読まれることを意図し,物語の口承的要素を浮き彫りにした。もう一つの問題劇『アノワ』Anowa(1970)では西欧の影響を受けたとみられる,地域社会における女性の役割や個人のあり方をテーマにした。アイドゥは西欧の教育がアフリカ人女性を解放するという考え方は否定した。彼女はまた,戦争失業で夫を失った女性が,世帯主として認められないまま子供を一人で養っていかなければならない状況を搾取としてあぶり出した。1982~83年ジェリー・J.ローリングズ政権下で教育大臣に就任。1970年から 1985年にかけては,詩集『だれかがいつかは語る』Someone Talking to Sometime以外の作品は世に出なかった。その後,童話集『鷲と鶏』The Eagle and the Chickens(1986),子供向け詩集『鳥』Birds and Other Poems(1987),小説『チェンジズラブストーリー』Changes: A Love Story(1991),詩集『1月の怒りの手紙』An Angry Letter in January and Other Poems(1992),短編集『ディプロマティック・パウンド』Diplomatic Pounds and Other Stories(2012)などを発表した。

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