日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクゾノーベル」の意味・わかりやすい解説
アクゾノーベル
あくぞのーべる
AkzoNobel N.V.
オランダのアムステルダムに本社を置く世界有数の化学会社。2008年度『フォーチュン』誌(アメリカの経済誌)のグローバル500社のランキングでは第455位で、化学分野では第9位。しかし、世界経済が低迷するなかで、利益高では世界最高の水準にあり、利益高世界企業ランキングでは第22位につけている。世界的視野にたった企業の吸収・合併戦略を繰り返すことで成長戦略を図ってきた。
この会社は二つのルーツをたどることができる。一つは1899年にドイツに設立された、レーヨン、塗料の会社フェライニグテ・グランツシュトフ・ファブリケンVereinigte Glanzstoff-Fabrikenと、1911年にオランダに設立されたレーヨンのNK(Eerste Nederlandse Kunstzijdefabriek Arnhem。Enkaともいう)が、1929年に合併して、総合化学繊維会社AKU(Algemene Kunstzijde Unie)が成立したことに求められる。AKUは1969年に、工業用塩その他幅広い化学製品群を提供していたオランダのKZO(Koninklijke Zout Organon)と合併して、アクゾAKZO N.V.となった。
もう一つのルーツは、ダイナマイトを発明したノーベルと関係する。ノーベルは、スウェーデン、イギリス、アメリカなどに現地会社を設立したが、スウェーデンのニトログリセリン社Nitroglycerin Ltd.が、1646年創業したスウェーデンの鉄工・兵器の名門会社ボフォースBoforsを1894年に買収した。1978年には、スウェーデンのケマノルドKemanord化学会社グループに買収されて、社名がケマノーベルKemaNobelとなった。このころの主要事業部門は、化学、塗料、薬品であった。1984年に、企業家エリック・ペンサーErik Penser(1942― )が、ケマノーベルとボフォースの支配権を獲得したことを契機に、両者を合併させて、新たにノーベル工業Nobel Industries ABを誕生させた。しかし、ペンサーの投機的行動で同社は破綻(はたん)に陥り、1991年に政府の管理下に入った。
1994年にアクゾはこの経営不振にあるノーベル工業の資産価値に注目して買収に乗り出し、社名を現在のアクゾノーベルAkzoNobel N.V.と変更した。1995年の買収直後には好業績を収めたものの、その後、原材料の高騰や為替(かわせ)差損のために経営悪化をきたし、大規模なリストラを行った。ポリエチレン、樹脂部門を売却したり、レーヨン工場をポーランドに移転したりして、1997年には赤字の繊維部門を、トルコに合弁企業を設立して分離した。
1998年にはイギリスの合繊企業トップのコートールズを18億3000万ポンドで買収して傘下に置き、社名をAkzoNobel UKと変えた。またドイツの総合化学メーカーのBASFからも塗料部門の買収を行った。2003年には、選択と集中の戦略により、薬品化学、触媒、塗料の3部門に事業を統廃合した。2006年には、薬品のオラゴンOrganon部門をシェーリング・プラウSchering-Plough Corp.に140億ドルで売却し、その資金を元手にイギリスを代表する企業、ICIの買収に乗り出し、2008年1月、160億ドルでICIの買収に成功した。このようにアクゾノーベルの歴史は、企業の集中と合併をめまぐるしく行いつつ、成長戦略を追求してきたといえる。
2012年の売上げ153億9000万ユーロ、利益19億0100万ユーロ。従業員数は約5万人。売上げの内訳は、特殊化学36%、塗料37%、ペンキ27%となっており、また販売地域は、ヨーロッパ46%、北米15%、アジア26%、その他13%となっている。
[湯沢 威]