日本大百科全書(ニッポニカ) 「アショフ」の意味・わかりやすい解説
アショフ
あしょふ
Ludwig Aschoff
(1866―1942)
ドイツの病理学者。1月10日ベルリンに生まれる。ボン、ストラスブールで医学を学び、1891~1893年ストラスブールでレックリングハウゼンF. D. von Recklinghausen(1833―1910)に、1893~1903年ゲッティンゲンでオルトJ. Orth(1847―1923)に師事。1903年マールブルク大学教授。1906年フライブルク大学に迎えられ、30年間にわたって病理学教室を指導した。1942年6月24日、持病の喘息(ぜんそく)が悪化し世を去った。アショフは生理的医学(ウィルヒョウら)の伝統を受け継ぎ、生体の構造と生理機能とのかかわりを重視した。彼の業績は、リウマチの心筋変化、虫垂炎、動脈硬化症、胆石症、血栓、腎(じん)分泌、壊血病、細網内皮系など多方面にわたり、その多くは今日の医学に深い影響を及ぼし続けている。アショフの教室には日本からも数多くの医学者が学んだが、彼の指導で田原淳(たわらすなお)が心刺激伝導系、清野謙次(きよのけんじ)が生体染色について行った研究はとくに有名である。『アショフ病理学書』Pathologische Anatomie. Ein Lehrbuch für Studierende und Ärzte(初版1909年)は第二次世界大戦前の日本で広く普及した。
[梶田 昭]