明治〜昭和期の病理学者 九州帝国大学名誉教授。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
病理学者。大分県生まれ。本姓は中島氏。1901年(明治34)東京帝国大学医学部を卒業、その後1903年に私費でドイツに留学し、マールブルク大学のアショフに師事した。ここで哺乳(ほにゅう)動物の心臓筋肉に関して研究を行い、特殊な筋繊維(田原結節またはアショフ‐田原結節)を発見、1906年にこれを心臓刺激伝導筋系統と名づけて発表した。同年帰国し、福岡医科大学(現、九州大学医学部)の助教授となり、1908年教授。1934年(昭和9)定年退官したが、この間に医学部部長、大学附属温泉医療研究所所長を歴任した。1914年(大正3)「哺乳動物の心臓に於(お)ける刺激伝導筋系統の研究」により帝国学士院恩賜賞を受賞。
[大鳥蘭三郎]
大正・昭和初期の病理学者。田原結節の発見者。大分県生れ。本姓中島。東京大学卒業後,1903年,私費でドイツへ留学し,マールブルク大学病理学教室でL.アショフに師事した。哺乳類の心臓筋肉について研究し,06年,特殊な筋繊維の,心臓刺激伝導系に属する房室結節を発見した。これは彼の名をとって田原結節,また師アショフの名をとってアショフ=田原結節と名づけられた。彼はこの功により,14年,学士院恩賜賞を与えられた。06年帰国,福岡医科大学(現,九州大学医学部)の助教授,のちに教授となり,34年に定年退職するまで28年間,同大学にあって医学教育に尽くした。この間,同大医学部長,また32年に別府市に開所した同大付属温泉医療研究所の所長などを歴任した。
執筆者:長門谷 洋治
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…主著は《病理解剖学Pathologische Anatomie》(1909)。田原淳(たわらすなお)が心臓の刺激伝導系の主要な一部である房室結節を彼のもとで発見してアショフ=田原結節と記載したのをはじめ,清野謙次,長与又郎,今裕,緒方知三郎ら日本人の門下生も多い。1924年来日。…
※「田原淳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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