アタウルフ(読み)あたうるふ(その他表記)Atawulf

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アタウルフ」の意味・わかりやすい解説

アタウルフ
あたうるふ
Atawulf
(?―415)

西ゴート国王(在位410~415)。西ゴート人を率いてイタリアに侵入した義兄弟アラリック死後、王に選ばれ、臣民を率いてアフリカに渡ろうとしたが失敗、北進して412年南フランスに侵入した。最初はガリア皇帝僭称(せんしょう)者ヨウィヌスと結んだが、のち西ローマ皇帝ホノリウスの側に寝返り、アクィタニア地方を占拠するとともに、414年人質の皇帝の妹プラキディアと結婚して、独立王国樹立を意図した。しかし、皇帝の命を受けた西ローマの将軍コンスタンティウスにより、アクィタニア地方から駆逐され、バンダル人の占領していたスペイン進出、415年ここに王国を建てたが、同年バルセロナ家来に殺害された。

[平城照介]

『P・クルセル著、尚樹啓太郎訳『文学にあらわれたゲルマン大侵入』(1974・東海大学出版会)』『H・シュライバー著、岡淳・永井潤子・中田健一訳『ゴート族』(1979・佑学社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「アタウルフ」の意味・わかりやすい解説

アタウルフ
Ataulf
生没年:?-415

西ゴート王国の王。在位410-415年。412年に部族を率いてガリア南部地方に定着し,414年には,先王時代に都市ローマから拉致した皇帝の妹ガラ・プラキディアを妃として,支配の正当性を印象づけようとした。彼が,ローマ帝国を滅ぼすのではなくむしろその再興者たらんと志し,ローマ人の法とゴート人の武力とによってこれを実現すべきだという所信を述べたことは,広く知られている。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アタウルフ」の解説

アタウルフ
Athaulf

?~415(在位410~415)

西ゴートの王。アラリック義弟後継者ガリアを占領し,414年皇帝ホノリウスの妹プラキディアと結婚,ヴァンダルアランを追ってイベリア半島に入り,バルセロナで暗殺された。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アタウルフ」の意味・わかりやすい解説

アタウルフ

「アタウルフス」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のアタウルフの言及

【ローマ】より

…西ゴートはその後南イタリアにいたが,ローマと条約を結んでガリアに移動した。その地でアタウルフ王は人質として連行していたガラ・プラキディアと正式に結婚した。彼女はアタウルフ王の死後ローマに送り返され,将軍コンスタンティウスと結婚,のちのウァレンティニアヌス3世を生んだ。…

※「アタウルフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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