アブー・ハニーファ
あぶーはにーふぁ
Al-Nu‘mān b. Thābit b. Zū
ā Abū 
anīfa
(699/700―767)
        
              
     
    
        
    出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    アブー・ハニーファ
Abū Hanīfa
生没年:699ころ-767
        
              
                        イスラム法学者。スンナ派四法学派の一つハナフィー派の祖。祖父はアフガニスタンからクーファに連れてこられた奴隷で,父の代から絹織物商であった。主としてクーファで法学・神学を学び,師のハンマードの没後クーファにおける法学の第一人者と称せられた。カーディー(裁判官)の職に就くことなく,多くの弟子を育てた。著書とされているものの多くは,後世の人の作品と考えられる。シーア派との関係を疑われてバグダードで獄死した。
執筆者:後藤 晃
 
                                                          
     
    
        
    出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
	
    
  
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                    アブー・ハニーファ
Abū Ḥanīfah
        
              
                        [生]699頃. クーファ
[没]767. バグダード
イスラム四大法学派の一つ,ハナフィー学派の祖。クーファで法学者として活躍したが詳しい経歴は不明。アッバース朝のカリフであったマンスールによって毒殺されたと伝えられている。著書は少なく,彼の思想は問答の形で後世に伝えられた。
                                                          
     
    
        
    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
	
    
  
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