日本大百科全書(ニッポニカ) 「アブー・ハニーファ」の意味・わかりやすい解説 アブー・ハニーファあぶーはにーふぁAl-Nu‘mān b. Thābit b. Zūā Abū anīfa(699/700―767) イスラム法学者。スンニー派の四大法学派の一つ、ハナフィー学派の祖。クーファ(イラク)に生まれ、その地に行われていた法研究を総合した。時のカリフ、マンスールにカーディ(法官)の職につくように請われたが、不信心な君主の下で仕えることを拒否したため獄死したといわれる。彼の名を冠した書物は多いが大部分は後世の偽作である。しかしハナフィー学派の特色である個人的判断(ライ)を強調した法体系は、彼に始まるものであろう。[竹下政孝 2018年4月18日][参照項目] | ハナフィー学派 | マンスール 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「アブー・ハニーファ」の意味・わかりやすい解説 アブー・ハニーファAbū Hanīfa生没年:699ころ-767 イスラム法学者。スンナ派四法学派の一つハナフィー派の祖。祖父はアフガニスタンからクーファに連れてこられた奴隷で,父の代から絹織物商であった。主としてクーファで法学・神学を学び,師のハンマードの没後クーファにおける法学の第一人者と称せられた。カーディー(裁判官)の職に就くことなく,多くの弟子を育てた。著書とされているものの多くは,後世の人の作品と考えられる。シーア派との関係を疑われてバグダードで獄死した。執筆者:後藤 晃 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アブー・ハニーファ」の意味・わかりやすい解説 アブー・ハニーファAbū Ḥanīfah [生]699頃. クーファ[没]767. バグダードイスラム四大法学派の一つ,ハナフィー学派の祖。クーファで法学者として活躍したが詳しい経歴は不明。アッバース朝のカリフであったマンスールによって毒殺されたと伝えられている。著書は少なく,彼の思想は問答の形で後世に伝えられた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by