アルテピナコテーク(その他表記)Alte Pinakothek

改訂新版 世界大百科事典 「アルテピナコテーク」の意味・わかりやすい解説

アルテ・ピナコテーク
Alte Pinakothek

ミュンヘンにある美術館。所蔵作品は15~18世紀の西欧絵画約2万点。そのうち1000余点が常時展示されている。創設は1836年。バイエルン国王マクシミリアン1世が,それまで王宮離宮にあった16世紀以来のバイエルン公の収集一堂に集め一般公開したもので,ルートウィヒ1世の命により作られた建物は新古典主義建築の巨匠クレンツェの設計による。創建当初は王立,現在はバイエルン州立である。所蔵作品の中心を成すのは,デューラー,アルトドルファーを中心とする15~16世紀ドイツ絵画であるが,初期ネーデルラント絵画,ルーベンスをはじめとする17世紀フランドル・オランダ絵画,さらにはイタリア,スペイン,フランスの絵画など,収集の層は厚い。第2次大戦で建物が破損したが,1957年に修復再開された。名称の意味は〈旧絵画館〉で,ミュンヘンには他に,18世紀半ば以降の絵画を収集展示する〈ノイエ・ピナコテークNeue Pinakothek(新絵画館)〉がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルテピナコテーク」の意味・わかりやすい解説

アルテ・ピナコテーク
Alte Pinakothek, München

ミュンヘンにあるドイツの代表的美術館の一つで,バイエルン州立絵画コレクションに属する。近代美術を集めたノイエ・ピナコテークに対して,中世から 18世紀までの絵画コレクションを収蔵している。コレクションの歴史は 16世紀前半のバイエルン公ウィルヘルム4世 (在位 1508~50) にさかのぼり,その後ジュッセルドルフマンハイム諸公のコレクションが加えられ,内容は一層の充実をみた。最初の建物は 1826~36年にルートウィヒ1世の命により新古典主義の建築家 L.クレンツェの手で建てられたが,第2次世界大戦で破壊され,現在の建物が再建された (1957) 。コレクションの中心はルネサンス期のドイツ,初期ネーデルラント,ルネサンスからバロックにかけてのイタリアと 17世紀のフランドル・オランダ絵画で,特に『最後の審判』その他を含むルーベンスのコレクションは有名。

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百科事典マイペディア 「アルテピナコテーク」の意味・わかりやすい解説

アルテ・ピナコテーク

ドイツのミュンヘンにある絵画館。ピナコテークは元来絵画館を意味するギリシア語に由来する。1836年バイエルン公の収集品を集めて創設。デューラールーベンスなどルネサンスから18世紀ころまでの大家の収集で知られる。名称は〈旧絵画館〉の意味で,同じくミュンヘンに18世紀半ば以降の絵画を収めた〈ノイエ・ピナコテークNeue Pinakothek(新絵画館)〉がある。

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世界大百科事典(旧版)内のアルテピナコテークの言及

【ドイツ美術】より

…古代への関心は,歴史的記念物や遺品への開眼を促し,種々の記念碑や博物館建設の気運が高まったのもこの世紀の特徴である。ミュンヘンの絵画館アルテ・ピナコテーク(1826‐36)もクレンツェの設計になったもので,このほかザイドルGabriel von Seidl(1848‐1913)のバイエルン国立博物館(1896‐1900)やゼンパーのドレスデン国立絵画館(1846‐52)が知られる。また歴史的関心は中世にまでも及び,19世紀初頭のロマン主義思想の流れを引いてケルンやウルムの大聖堂が完成され,ノイシュワンシュタイン城(E.リーデル,1868‐86)やウィーンの奉献教会(H.vonフェルステル,1856‐79)のようなロマネスクやゴシックを模した中世様式建築も造営された。…

※「アルテピナコテーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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