ミコヤン(読み)みこやん(英語表記)Анастас Иванович Микоян/Anastas Ivanovich Mikoyan

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミコヤン」の意味・わかりやすい解説

ミコヤン
Mikoyan, Anastas Ivanovich

[生]1895.11.25. チフリス(現トビリシ),サナイヤン
[没]1978.10.21. モスクワ
ソ連政治家。チフリスの神学校卒業。 1915年ボルシェビキに加入し,カフカスにおける革命運動の指導者の1人となった。 19年9月モスクワで党中央委員会の指令を受け,アゼルバイジャン共産党の組織化に成功。 26年ソ連政府の商業・貿易人民委員に就任,55年まで同種職務を担当,外交交渉においてその機略縦横の手腕をうたわれるようになった。その間中央政治においても昇進を重ね,第2次世界大戦中の 42~45年には国家防衛委員会の委員として活躍,その功により 43年に社会主義労働英雄の称号を受けた。 46~53年ソ連閣僚会議議長代理 (副首相) 。 56年第 20回党大会で I.スターリン批判演説を行い,58年 N.フルシチョフ内閣の第一副首相に就任。その後の権力抗争中一貫してフルシチョフにくみした唯一の長老政治家となった。 64年7月~65年 12月最高会議幹部会議長 (国家元首) 。 64年 10月フルシチョフ失脚後もブレジネフ=コスイギン政権の補佐役として活躍。 65~74年最高会議幹部会員。その後引退。その端倪すべからざる政治力によって,オールド・ボルシェビキとして常に政権の上層部なかを生延びた,ソ連史上稀有の政治家。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミコヤン」の意味・わかりやすい解説

ミコヤン
みこやん
Анастас Иванович Микоян/Anastas Ivanovich Mikoyan
(1895―1978)

ソ連の政治家。11月25日にアルメニアに生まれる。公式には大工の息子といわれている。チフリス(現トビリシ)の神学校を卒業後、1年間、神学大学で学ぶ。1915年にボリシェビキ党に入り革命運動に従事。1922年に党中央委員候補に選ばれ、1923年に中央委員、1926年に党中央委政治局員候補となり、内外商業人民委員として初入閣。1935年に政治局員に昇格、1937年には人民委員会議副議長(副首相)となる。第二次世界大戦中は国家防衛委員会委員として食糧燃料の供給で活躍。戦後も1946年から1955年までは副首相、それ以降1964年までは第一副首相を務める。1964年7月には最高会議幹部会議長(国家元首)となり、10月のフルシチョフの解任では重要な役割を果たした。1965年12月に健康上の理由で同議長を辞し、1966年春には党中央委幹部会員の地位からも引退した。1978年10月21日にモスクワで死去した。

中西 治]

『小川政邦・上田津訳『ミコヤン回想録1 バクー・コンミューン時代』(1973・河出書房新社)』

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