アルメニア共和国(読み)アルメニア(その他表記)Republic of Armenia 英語

デジタル大辞泉 「アルメニア共和国」の意味・読み・例文・類語

アルメニア(Armenia)

南西アジア、カフカス地方の国。正称、アルメニア共和国。カスピ海黒海に挟まれた内陸部にある。首都エレバン。住民の大部分はアルメニア人。近年、重工業が発達。古代のアルメニアはトルコ・イランの一部まで占めた。301年、キリスト教を国教とした最初の国。1936年にソ連の一員となり、1991年その解体に伴い独立。CISに属する。人口296万(2021)。アルメニア語でハヤスタン。
コロンビア中西部、キンディオ県の都市。標高1500メートルを越える高原に位置し、同国を代表するコーヒー産地の一つとして知られる。バナナ、サトウキビなどの生産も盛ん。近郊に国立コーヒー公園がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルメニア共和国」の意味・わかりやすい解説

アルメニア共和国
あるめにあきょうわこく
Republic of Armenia 英語
Hayastani Hanrapetoutium アルメニア語

西南アジアにある内陸国。かつてはソビエト連邦を構成するアルメニア・ソビエト社会主義共和国Арменская ССР/Armenskaya SSRであったが、1991年9月独立を宣言し、共和国となった。面積2万9800平方キロメートル、人口300万2594(2001年センサス)、300万(2014年国連人口基金)。首都はエレバンで、人口110万6383(2007年推計。以下同)。主要な都市はグユムリ(1924~1990レニナカン、人口14万7350)、カラクリス(別名バナゾール、10万5100)。北はジョージアグルジア)、東はアゼルバイジャン共和国、南はイラン、西はトルコに接する。ザカフカス(カフカス南部)地方の山がちな国で高原が広い面積を占め、国土の中央部を北西から南東にかけて3000メートル級の小カフカス山脈が貫き、セバン湖(標高1900メートル)を抱く。湖から流下するラズダン川、それが流入するアラクス川の広い河谷が、エレバンはじめ多くの都市を育て、主要な生産の場となっている。気候も多様で、低地部では月平均気温1月零下5℃、7月25℃、年降水量200~400ミリメートルで、雨は大半が春に降る。これに対し標高1500メートル程度の高原では1月零下4℃、7月20℃、年降水量500ミリメートル以上と変わる。また、この国はときに激しい地震にみまわれることがある。

渡辺一夫・木村英亮]

歴史・政治

古く紀元前7~5世紀にザカフカジエ(ザカフカス)を支配したウラルトゥ王国は、アルメニアを中心としていた。4世紀には最初にキリスト教を国教とし、民族意識形成の基盤とした。9~11世紀のバグラト王朝の大アルメニアは小アジア東部に領土をもつ国家であったが、その後セルジューク・トルコ、オスマン・トルコに征服され、19世紀には一部がロシアの支配下に入った。トルコのアルメニア人は19世紀末からいくども虐殺にさらされたが、最大のものは1915年のものである。このような抑圧によってアルメニア人は世界各地に分散し、アメリカ、イラン、フランスなどにあわせて約650万人居住している。

 1920年ソビエト政権の成立が宣言され、トルコ領のカルス地方と分かれた。1922年、アゼルバイジャン、ジョージアとともにザカフカス連邦共和国を結成、ソビエト連邦に加わった。1936年、アゼルバイジャン、ジョージアと別個に共和国となり、直接にソビエト連邦を構成することとなった。

 1980年代後半ソ連のペレストロイカ(改革)が進行するなか、隣国アゼルバイジャン共和国内のナゴルノ・カラバフ自治州のアルメニア人がアルメニア共和国への帰属を求めて紛争をおこした問題は、民族感情を刺激し、1990年8月23日アルメニア共和国最高会議は国家主権宣言を採択し、1991年1月末には3月17日に行われるソビエトの連邦制度維持の是非を問う国民投票を拒否することを決めた。ソ連における八月クーデター事件後9月7日に共産党大会で党の解散を決定し、9月18日に共産党第一書記を党の代表として民主党を創立した。9月21日に国民投票を行い、投票率95.05%で独立支持が99.31%を占め、9月23日にソビエト連邦からの独立を宣言した。10月16日にはアルメニア国民運動の指導者テルペトロシャンLevon A. Terpetrosyan(1945― )が大統領に選ばれた。1995年7月5日の国民投票によって支持された新憲法によって、大統領の権限が強化された。1996年9月新憲法の下での最初の大統領選挙が実施され、テルペトロシャンが再選されたが、ナゴルノ・カラバフ問題をめぐって1998年2月辞任。同年4月、元首相でナゴルノ・カラバフ出身のコチャリャンが大統領に就任した(2003年再選)。憲法の連続3選禁止規定によるコチャリャンの大統領退任に伴い行われた2008年の大統領選挙では、コチャリャンの支持を受けた首相のサルグシャンSerzh Sargsyan(1954― )が当選し大統領に就任した(2013年2月に再選)。大統領は直接選挙で選ばれ、任期は5年。議会は一院制で定数は131議席(比例区75、1人区56)、任期は4年。大統領が首相を任命する。

[渡辺一夫・木村英亮]

外交・軍事

1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)創設協定に調印し、CIS加盟国となった。また1994年10月、北大西洋条約機構NATO(ナトー))と「平和のためのパートナーシップ」(PFP)協定枠組み文書に調印した。1995年5月にはイランとガス供給について合意している。1997年8月、ロシアとの間で友好協力条約に調印した。これは対立関係にあるトルコを意識したもので、ロシアの軍事保護を約束するものであった。2009年10月にはトルコとの国交樹立に関する議定書に調印、両国の関係は改善に向かっているほか、アメリカなど欧米諸国との結びつきを強めている。ジョージアやイランなどの隣国との関係も良好である。

 2008年の国防予算は3億9500万ドル。兵役は2年間の徴兵制で総兵力は4万2000人。駐留ロシア軍は約3200人である。

ナゴルノ・カラバフ問題

1988年2月アゼルバイジャン共和国ナゴルノ・カラバフ自治州で住民の80%を占めるアルメニア人が自治州のアルメニア共和国への帰属替えを要求してデモを行い、アゼルバイジャン人との間に暴力的な衝突を繰り返すようになった。アルメニア人の不満はアルメニアの歴史が教えられないこと、アルメニア語のテレビ番組が少ないこと、生活条件が悪いことであった。同年3月ソ連の政府と党は、帰属替えは認められないがこれらの点の改善に努めることを表明したが、7月のソ連最高会議幹部会は、民族・国家区分の変更ができないことを決定した。これに対し1991年9月2日にはナゴルノ・カラバフ自治州人民代議員会議は一方的に共和国宣言を行った。その後アルメニアとアゼルバイジャン間の戦争(ナゴルノ・カラバフ戦争)にまで発展したが、1994年5月にはロシアの仲介でいちおう停戦合意が成立している。

[渡辺一夫・木村英亮]

産業・経済

電子、無線、電機、工作機械、工具、計装など、金属消費量が少なく労働力立地型の工業諸部門が生まれ、電力、化学、食料品工業も発展し、農業においても果樹、綿花、野菜、タバコが栽培されるようになった。

 機械部門は、電気機器、工作機械、電球、ケーブル、自動車がエレバンで、マイクロモーター、研磨機、楽器、中ぐり旋盤(せんばん)などがグユムリで製造される。化学部門ではクロロプレン、カ性ソーダ、アセテートなど化学繊維が、前記諸都市を中心に生産される。ラズダン川上流では霞(かすみ)石を多量に含む閃長(せんちょう)石(アルミ製錬に用いる)を採取するほか、各地に石材を産する。軽工業、食品工業はアラクス川河谷の町村で盛んである。とくにワインとブランデー(アララト印など)は質がよく、世界中に輸出されている。宝石加工も行われ、加工ダイヤモンドは輸出の36%(2002)を占める。

 農業地帯は標高により異なるいくつかの帯に分かれる。低地(標高500メートル以上)は乾燥し、従来は乳牛、ヒツジなどの畜産が行われていたが、第二次世界大戦以降灌漑(かんがい)用水路が整備され、穀作や工芸作物、牧草栽培が広く導入されてきた。標高約1300メートルまではワタ、イチジク、ブドウなど、約1800メートルまでは麦、ジャガイモ、サトウダイコン(テンサイ)など、それよりも高い地帯はふたたび草地、放牧地となる。

 発電はセバン湖、ラズダン川の水力のほか、原子力でも行われていたが、1988年の大地震をきっかけに原子力発電所が撤去され、電力生産は1991~1994年に96億キロワットから56億キロワットへ低下した。このようなエネルギー危機のため1995年11月に原子力発電所の運転を再開しており、新規原子力発電所建設計画も浮上している。アルメニアは石油、天然ガスなどの地下資源に乏しく、エネルギーの外国依存度が高い。もともと平均賃金はザカフカス3共和国中もっとも高く、コルホーズ員の収入も高い方であったが、1994年の工業生産は1990年の46%に落ち、失業率はCIS諸国のなかでも最高で1994年5.6%となった。セバン湖の水位低下、エレバンの大気汚染などの環境問題も発生している。

 通貨は1993年11月22日からドラムが導入され、1994年3月にはルーブルの流通が停止、新通貨への移行が終わった。1994年のインフレ率(物価上昇率)は4900%でCIS諸国内でも高かった。2014年の国内総生産(GDP)は110億6000万ドル、1人当りGDPは3255ドルとなっている。失業率は18%(2014年IMF暫定値)である。

 貿易額は輸出15億4700万ドル、輸入44億2400万ドル(2014年CIS統計委員会)で大幅な輸入超過となっている。おもな輸出品目は食糧加工品、アルコール・ノンアルコール飲料、硫黄・土類など、輸入品目は穀類、食用油脂、タバコ類、製薬品などである。2013年のおもな輸出相手国はロシア、ブルガリア、ベルギー、イラン、アメリカ、おもな輸入相手国はロシア、中国、ドイツ、ウクライナ、トルコ、イランである。

 アルメニアに対する経済援助は、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、ノルウェーが主要援助国である。日本との貿易額は、輸出9億7000万円、輸入11億7000万円(2014)でアルメニアの輸入超過である。日本に化学製品や有機化合物、タバコなどを輸出し、建設・鉱山用機械、電気機器などを輸入している。

[渡辺一夫・木村英亮]

住民

人口の97.9%がアルメニア人で、ロシア人0.5%、その他1.6%となっている。公用語はアルメニア語、宗教は主としてキリスト教(アルメニア教会)である。19世紀末と第一次世界大戦中にトルコによる大虐殺を避けて国外やロシアに移住していたアルメニア人は、第二次世界大戦後、約20万人が世界各国から帰国した。識字率は向上し、大学の学生数は、1940/1941年の1万1100人から1994/1995年には7万1700人へ増大した。アルメニアはソ連時代から10年制の学校教育制度を続けてきたが、2006年には11年制、さらに2007年以降は12年制(小学校4年、中学校5年、高等学校3年)へ移行した。義務教育は9年間である。大学教育も5年制から学部4年、専門教育課程2年の6年制への移行が進んでいる。

[渡辺一夫・木村英亮]

『小松久男・梅村担他編『中央ユーラシアを知る事典』(2005・平凡社)』『木村崇・鈴木董他編『カフカース――二つの文明が交差する境界』(2006・彩流社)』『中島偉晴著『アルメニア人ジェノサイド――民族4000年の歴史と文化』(2007・明石書店)』『中島偉晴、メラニア・バグダサリヤン編著『アルメニアを知るための65章』(2009・明石書店)』


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