カラヤン

デジタル大辞泉 「カラヤン」の意味・読み・例文・類語

カラヤン(Herbert von Karajan)

[1908~1989]オーストリア指揮者ベルリンフィルハーモニーなどヨーロッパ各国の主要管弦楽団を指揮し、レパートリーの広さと現代的な解釈で世界的な名声を得た。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「カラヤン」の意味・読み・例文・類語

カラヤン

  1. ( Herbert von Karajan ヘルベルト=フォン━ ) オーストリアの指揮者。一九五五年以来ベルリンフィルハーモニー管弦楽団指揮者。ヨーロッパの主要管弦楽団を指揮し、レパートリーの広さと巧みな指揮で世界的に活躍。(一九〇八‐八九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「カラヤン」の意味・わかりやすい解説

カラヤン

オーストリアの指揮者。生地ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院に学び,ピアノ奏者として活動ののちウィーンで指揮法を修得ウルムアーヘン歌劇場を経て1937年ベルリン国立歌劇場で《フィデリオ》を指揮して成功。第2次大戦後は1933年以来のナチス党員として戦争責任を問われ,一時指揮活動を停止。1946年からウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などで活躍し,1955年−1989年フルトウェングラーを継いでベルリン・フィルの常任指揮者を務めた。1956年−1964年ウィーン国立歌劇場総監督。レコードなどのメディアを最大限に活用した新しいタイプの指揮者で,生前は絶大な人気を得た。1954年に単身来日してNHK交響楽団を振り,1957年ベルリン・フィルと初来日。→アバド
→関連項目大賀典雄グールドサバリッシュ松平頼則ルルーシュ

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラヤン」の意味・わかりやすい解説

カラヤン
からやん
Herbert von Karajan
(1908―1989)

オーストリアの指揮者。広いレパートリーに加えて精力的な活動を誇り、また社会的な注目を浴びる言動が多く、20世紀後半を代表する演奏家の一人と目される。4月5日ザルツブルクに生まれる。生地およびウィーンで学び、1927年ドイツのウルム歌劇場指揮者になったのを振り出しに、アーヘン歌劇場、ベルリン国立歌劇場の指揮者を歴任。第二次世界大戦後、公職追放されたが、47年活動を再開、急速に名を高めた。55年、フルトベングラー後任としてベルリン・フィルハーモニーの第4代常任指揮者、翌56年終身芸術監督に就任、以来西欧の音楽界の枢要ポストを一手に収めたため、「帝王カラヤン」とよばれるに至った。54年(昭和29)N響に客演のため初来日。以後、59年のウィーン・フィルを除けば、すべてベルリン・フィルと9回来日。89年春の叙勲では、勲二等旭日(きょくじつ)重光章を受章している。後進の育成にも力を注ぎ、69年には「ヘルベルト・フォン・カラヤン財団」を設立、若い指揮者発掘のためカラヤン・コンクールを新設した。89年7月16日没。

[岩井宏之]

『F・エンドラー記、吉田仙太郎訳『カラヤン自伝を語る』(1989・白水社)』『R・C・バッハマン著、横田みどり訳『カラヤン――栄光の裏側に』(1985・音楽之友社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「カラヤン」の意味・わかりやすい解説

カラヤン
Herbert von Karajan
生没年:1908-89

オーストリアの指揮者。ザルツブルクに生まれ,同地のモーツァルテウム音楽院に学び,初めピアノ奏者として立つ。のちウィーンで指揮を学び,1929年指揮者としてデビュー,ウルム市立歌劇場,アーヘン歌劇場を経てベルリン国立歌劇場に進出,55年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団終身常任指揮者に就任,56年ウィーン国立歌劇場総監督,ザルツブルク音楽祭芸術監督なども兼ねた。1954年以来しばしば来日。その指揮は20世紀初頭のいわゆる新即物主義的傾向から,しだいにドイツの重厚なロマン的趣味と現代風な洗練度の高いオーケストラの色彩感とを包括していき,終局的にはドイツの伝統の上に立つ完璧な名人芸的オーケストラ表現を打ちたてた。ベルリン・フィルはそのような表現の具として彼の理想を実現したものである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カラヤン」の意味・わかりやすい解説

カラヤン
Karajan, Herbert von

[生]1908.4.5. ザルツブルク
[没]1989.7.16. ザルツブルク郊外アニフ
オーストリアの指揮者。ウィーンで F.シャルクに指揮を学び,1927~34年ウルム,34~41年アーヘン,38~42年ベルリン国立歌劇場指揮者を歴任。その間,各国に演奏旅行,ザルツブルク,バイロイトなどの音楽祭の指揮者として名声をあげる。 55年 W.フルトベングラーの後任として,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者となる。またヨーロッパ,アメリカ各楽団の客演指揮者として世界中の人気を集めた。交響曲,オペラとそのレパートリーは広く,自分の演奏をビデオに収めて普及をはかるなど,話題を呼んだ。 54年以来しばしば来日。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android