トルコのアナトリア北西部にある都市。人口130万5059(2003)。ウルーダウ山(2543m)の北西山麓に位置し,桃の名産地として知られる同名の平野をのぞみ,温泉・史跡をもつ観光地。この町の歴史は,前6世紀に,ビテュニア王国のプルシアスPrusiasによって建設されたことに始まるといわれる。また一説によると,後6世紀,ビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世の時代に,2人の牧師によって養蚕技術が中国からこの町に伝えられたといわれる。いずれにしてもビザンティン時代以来養蚕・絹織物の町としても知られていた。
1080年,トルコ族のルーム・セルジューク朝によって,ニカエアとともに一時征服されたが,1097年に再びビザンティン領に復帰した。1326年にトルコ族のオスマン朝によって最終的に征服されると,62年まで同王朝の首都となった。15世紀末以後,オスマン朝がアナトリアとバルカンを併合して治安が安定すると,養蚕と絹織物を中心に,この町の商工業は発達し,遠くイランやシリアから絹がもたらされ,この町で加工されたのち,ムスリム商人,イタリア人商人の手によってヨーロッパ各地へ輸出された。19世紀以後,ヨーロッパ諸国で紡織機が使用され始めるとこの町の絹織物輸出は激減した。第1次世界大戦後,ギリシア軍に一時占領(1920年7月~22年9月)されたが,解放後この町は,再び同名州の州都として復興し,絹織物のみならず毛および綿織物,食品加工など多彩な産業が発展した。
町にはオスマン朝初期のスルタンたちの建立したモスク,廟などの遺跡が数多く残され,また伝説によればトルコの影絵芝居(カラギョズ)の発祥地であり,また1879-81年にブルサ州知事を務めたアフメト・ウェフィク・パシャにより,近代的演劇場がつくられるなど文化の香り高い町でもある。
執筆者:永田 雄三
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トルコの小アジア半島北西部の都市。マルマラ海沿岸から南東25キロメートルに位置する。ブルサ県の県都。人口119万4687(2000)、トルコ第四の都市である。ウル・ダァ山(2543メートル)の北麓(ほくろく)にあって緑樹が美しく、「緑のブルサ」とよばれる。オスマン帝国の古都として歴史に富み史跡も多く、温泉も湧出(ゆうしゅつ)し、ウル・ダァ山にはスキー場もあるなど観光・保養地として有名である。伝統的な絹織物、刺しゅうの産があるほか、精糖・自動車工業も立地する。バス交通の要衝で空港も所在する。町の起源は紀元前200年ごろのプルサPrusaにまでさかのぼる。オスマン帝国2代目君主オルハンの治世の紀元後1326年に首都に選ばれ、1369年にエディルネにその地位を譲るまで、数十年にわたって政治の中心地であった。この地に葬られる君主も多く、初代君主のオスマン廟(びょう)や2代君主のオルハン廟、タイルの美しさから「緑の廟」とよばれるメフメト1世の廟などがあり、またイェシル・ジャミ(緑のモスク)やウル・ジャミ(大モスク)などの華麗な建造物もみられる。考古博物館、イスラム博物館、大学も所在する。
[末尾至行]
アナトリア西北部の都市。古代名はプルサ。1326年オスマン軍がビザンツ帝国から奪い1365年まで都を置いた。絹織物業が盛んで東西交易の中心地として栄えた。温泉に恵まれ,豊かな自然環境から「緑のブルサ」と呼ばれている。
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