カイセリ(読み)かいせり(英語表記)Kayseri

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カイセリ」の意味・わかりやすい解説

カイセリ
Kayseri

古代のマザカ,ローマ時代のカエサレアトルコ中央部,エルジヤス火山 (3916m) 山麓,標高 1043mの平原に位置する。同名県の県都。古くからカッパドキア諸王の王宮の地であったが,1世紀頃ローマのカッパドキア属州の首都となった。 1080年頃セルジューク・トルコに占領され,モンゴルトルクメンの支配を経て,1397年オスマン帝国領となった。しかし,チムールエジプトシリアに侵略され,1515年再びオスマン帝国領に確定した。ローマ時代にさかのぼる城塞や,13世紀のモスクなどが現存する。重要な農産物集散地であるが,急速な工業化が行われ,特に砂糖,セメント織物,航空機備品などが製造されている。なお,金細工や絨毯製造の中心地でもある。アンカライスタンブールとは空路で,アナトリア諸都市とは鉄道や道路で結ばれている。人口 42万 1362 (1990) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カイセリ」の意味・わかりやすい解説

カイセリ
かいせり
Kayseri

トルコの小アジア半島中央部にある都市。カイセリ県の県都。エルジエス火山(3916メートル)の北麓(ほくろく)、標高1055メートルに位置する。人口53万6392(2000)。小麦果実などを集散し、製粉、製糖、食料品、繊維などの工業も発達する。鉄道・道路交通の要衝で、エルジエス火山や、西方洞窟(どうくつ)住居で有名なギョレメ地方を控え、観光の拠点でもある。ローマ時代にはカエサレアとよばれ、カッパドキア地方の首都として発展した。市内には、セルジューク朝の13世紀に築かれた城塞(じょうさい)などの史跡があり、考古学博物館、エルジエス大学がある。

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