古代の教父と中世のスコラとの間に立つ独創的な神学者,哲学者。アイルランドに生まれ,845年ころパリに来て,その才能を買ったカール2世(禿頭王)の宮廷学校で教えた。フルダの修道士だったゴットシャルクGottschalkの二重預定説を批判し,人間は救いに預定されているが罪に預定されてはいないと説いたため,西方教会の伝統と対立して異端とされた。その後ギリシア教父に学び,当時西方には知られていなかった新プラトン主義を中世に伝える役をはたした。ディオニュシウス・アレオパギタの著作のラテン語訳と《自然の区分》とが重要である。後者では神を自然の原因・目的と見て流出と神化を説き,自然における神の展開と現れを述べたので,のちに何度も汎神論として退けられた。それにもかかわらず,その神秘主義と世界の論理的階層化の思想とはスコラ学に大きな影響を与えた。
執筆者:泉 治典
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810?~877?
フランクの哲学者。アイルランド出身。カール大帝の孫シャルル(2世,禿頭王)に招かれ,宮廷学校で古典学芸を教授した。新プラトン主義を初めてスコラ哲学に導入し,カロリング・ルネサンスの主流をなした。
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…アルクインの流れは多くのすぐれた宗教詩人を生み,中でもフルダ修道院によったラバヌス・マウルスやゴットシャルク,ワラフリド・ストラボWalahfrid Strabo(808か809‐849)は,それぞれ敬虔な,あるいは哀切な,また優雅な賛歌の作者として知られる。ほぼ同代に詩人セドゥリウス・スコトゥスSedulius Scotus(9世紀半ば),エリウゲナがあり,後者は多くの思弁哲学や神学の著述で中世学界に重きをなした。この時代にようやく芽ばえたドイツ文学にも,オトフリートの《福音歌》,低ドイツ古語による《救世主》の宗教的記念碑がある。…
… 古代学術を西欧ラテン世界へと移植する企てに最初に着手したのはボエティウスであり,彼は〈スコラ学の創始者〉に数えられる。また中世における古代学問・思想再生の最初の試みであるカロリング・ルネサンスの頂点に位するスコトゥス・エリウゲナのうちにスコラ学の端緒を認める説もある。しかし独自の特徴を示すスコラ学が開花するのは,いわゆる〈12世紀ルネサンス〉においてであり,〈スコラ学の父〉と称せられるアンセルムスにおいては,洗練された論理学・弁証論を駆使してキリスト教の教義を解明しようとする試みが見いだされる。…
…8世紀にはカール大帝の下にイギリスからアルクインがよばれ,カロリング・ルネサンスが興るが,ここにもたらされたものはイングランドに地中海経由で一足さきに受け入れられていた科学知識を発展させたベーダらの天文学や自然学であった。またエリウゲナは独自な自然論を展開し,その宇宙論はT.ブラーエの天文体系に近づいたともいわれている。 10世紀になるとアラビア科学との接触がはじまり,のちに教皇シルウェステル2世となるオーリヤックのジェルベール(ゲルベルトゥス)はカタルニャの地でアラビア学術に接し,これをもってフランスで多くの弟子を教え,大きな影響を与えた。…
… 哲学の分野では,両性具有のテーマは〈反対の一致〉〈全体性の神秘〉として登場する。J.S.エリウゲナの《自然区分論》では,実体の区分は神において始まり,漸次人間の本性にまで下降して男女の区別が生じる。ゆえに実体の再統合は,逆に人間から始めて,神を含む存在の全体へと遡行しなければならない。…
※「エリウゲナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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