ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アウグスチヌス」の意味・わかりやすい解説
アウグスチヌス
Augustinus, Aurelius
[没]430.8.28. ヒッポ
初期西方キリスト教会の教父,教会博士。北アフリカのヒッポの司教。新約聖書とプラトン的伝統との融合を試み,その神学と哲学的思索は中世のみならず後世のキリスト教思想の展開に多大の影響を与えた。その生涯は異教とキリスト教の対決に終始し,みずからも一時マニ教,懐疑論などに傾斜したがアンブロシウスの感化や新プラトン主義の影響,さらに篤信のキリスト教徒であった母モニカのすすめなどにより,ついに回心するにいたった。『告白』はキリスト者に形成されてゆく彼の自伝的著作。 391年司祭となり,396年ヒッポの司教になって以後は異端 (マニ教,ドナツス派,ペラギウス説 ) との論争に加わり,教理と教会の権威の確立に努め,そのうちでみずからの思想を発展させていった。大著『神の国』は神の国と地上の国の対比を通じて教会への信仰を確立させた西洋初の歴史哲学書。
アウグスチヌス[カンタベリー]
Augustinus of Canterbury
[没]604/605.5.26. カンタベリー
聖人。ベネディクト会の修道士。ローマの聖アンドレアス修道院長。 597年教皇グレゴリウス1世によりイギリスへ布教のため派遣され,ケントの王エセルバートの知遇を得てカンタベリーに住み,イングランドの改宗事業に大きな成果をあげた。 601年にカンタベリーの大司教となる。カトリック的折衷主義の立場からローマの教義,典礼を厳守するとともにイギリスの国情や習慣との調和もはかったが,ローマ教会とは伝統,習慣を異にする同地のケルト教会との間で困難に直面し,両者の統合には失敗した。
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