日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンデス共同体」の意味・わかりやすい解説
アンデス共同体
あんですきょうどうたい
Comunidad Andina スペイン語
Andean Community 英語
略称CAN。南アメリカのいわゆるアンデス諸国、コロンビア、ペルー、エクアドル、ボリビア、チリの5か国が1969年コロンビアのカルタヘナで条約調印したことにより発足した地域的経済統合。本部はペルーのリマにある。アンデス・グループ(GRAN)またはアンデス準地域統合などとよばれていたが、1996年にアンデス共同体を創設し、発展改組した。1973年にベネズエラが加盟(2006年に脱退を表明)、1976年には外資規制に反対してチリが脱退した(2006年6月準加盟国として再参加)。また1992年から1997年にかけてペルーが一時脱退していた。GRANはラテンアメリカ自由貿易連合(LAFTA(ラフタ))内の中小国である上記5か国が、ブラジル、アルゼンチン、メキシコのようなLAFTA内の大国に対抗してグループの立場を改善し、国内市場の狭隘(きょうあい)さの不利を克服することを目的として結成された。
特色としては、(1)域内の貿易障害の自動的撤廃、共通域外関税の設定(ただし域内の比較的発展の遅れたボリビア、エクアドルには特別な措置を講ずる)、(2)産業の統合、すなわち域内の諸産業の部門別計画的配分の実施、(3)対外共通経済政策、とくに共通外資政策の実施、があげられる。外国投資に対する態度は厳しく、利潤送金制限、投資分野の制限があるほか、外国資本はその株式を一定期間内に国内資本に売却することとなっている。チリが脱退したのは他の加盟国との政治的相違によるものであるが、積極的に外資を導入しようとするチリと前記の共通政策とが相いれないためでもあった。
1980年代なかば以降は地域統合の方針を転換し、厳しい外資規制の緩和、域内貿易の自由化の推進、さらに1995年から対外共通関税の実施(原則として5%、10%、15%、20%の4段階)へと踏み切って、実質的な統合へと踏み出したといえる。グループの重要な機構の一つとして1970年に発足したアンデス開発公社は、近年その活動範囲を拡大してきている。1996年にアンデス共同体を創設し、GRANは発展改組した。その後、メルコスール(南米南部共同市場)、EU(ヨーロッパ連合)、APEC(エーペック)(アジア太平洋経済協力)など他の地域統合との経済的協力を強め、とくにメルコスールとは2003年に自由貿易協定を締結した。また、2003年より加盟4か国内で、パスポートを携帯せずに身分証の提示だけで国民の域内移動が自由化された。2006年1月には、域内関税が撤廃されて共同体4か国の自由貿易圏が完成した。アンデス共同体は経済統合を目ざすとともに、アンデス首脳会議、アンデス仲裁裁判所、アンデス議会、ラテンアメリカ準備基金などの組織をもっている。
[相原 光・秋山憲治]
『浜口伸明著『ラテンアメリカの国際化と地域統合』(1998・日本貿易振興会アジア経済研究所)』