アーエーゲーテレフンケン会社(英語表記)AEG-Telefunken

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アーエーゲー・テレフンケン[会社]
AEG-Telefunken

正式名称はAllgemeine Elektricitäts-Gesellschaft AEG-Telefunken。国内,海外に140の子会社を擁する西ドイツ第2位の総合電機メーカーであったが,家電部門の不振や技術革新の立遅れなどが原因で,創業100周年を1年後に控えた1982年8月,事実上倒産した。1883年,E.ラーテナウが発明王エジソンの白熱電球特許を買ってDeutsche Edison-Gesellschaft für angewandte Elektricität(ドイツ・エジソン応用電気会社)を設立したことに始まる。87年,Allgemeine Elektricitäts-Gesellschaftに社名変更。91年にはラウフェンの水力発電所から175km離れたフランクフルトまでの遠距離送電に成功。AEGは,製品を市販するだけでなく,発電所,市内電車を建設・製造し経営するという直接事業経営方式を採用し成功を収めた。1907年にはアメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)と世界分割に関する協定を結んで,全ヨーロッパをほとんど支配下に置いた。12年にはジーメンスとともにドイツ電機工業における二大トラストの一つとなり,傘下企業の数は約200に及んだ。第1次大戦後,アメリカ資本がドイツに導入されるようになると,29年にはAEGの株式も1/3がアメリカのGEによって所有された。次いで第2次大戦後には東ドイツの9主力工場と在外資産を失ったが,その後,西ベルリンやニュルンベルク,シュトゥットガルトに工場を再建し,伝統的に強い海外志向性を背景に海外事業の展開も再び活発化させた。66年,通信機器製造の子会社テレフンケンTelefunken A.G.を合併し,現社名に改称。また,このころから家電部門を中心に中小企業多数を買収して業容拡大をはかったが,これが結局命取りとなった。倒産前最後の決算となった81年12月期の売上高は148億マルクで,売上構成は,発電プラント・重電などの産業システム40%,家電・家庭用電子機器(テレビ,ビデオなど)32%が多い。のちに再建され,85年ダイムラー・ベンツの傘下に入ったが,97年ジーメンスが全株式を取得し,ジーメンス・エレクトロコムとなった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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