日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスラム救国戦線」の意味・わかりやすい解説
イスラム救国戦線
いすらむきゅうこくせんせん
Front Islamique du Salut フランス語
アルジェリアのイスラム政党。略称FIS。アラビア語ではJabhat al-Inqādh al-Islāmī。1989年にアルジェリアで複数政党制が導入されたときに結成されたが、1991年の選挙でFISが圧勝した直後の1992年に軍隊がクーデターを起こし、以降非合法化された。
1962年にフランスから独立を遂げたアルジェリアは、約8年間の独立戦争を指導したアルジェリア民族解放戦線(FLN)が引き続き政権を握り1980年代後半まで至った。しかし25年余りのFLNの独裁政権は、1980年代に入り経済政策の行き詰まり、経済不況、汚職、内部分裂などから国民の信頼を失い始めた。1988年の大規模な民衆の暴動をきっかけに、大統領シャドリ・ベンジェディードal-Shādhili Benjadid(1929―2012)は国民の不満を緩和するために翌1989年2月に憲法を改正し、FLNの一党制から複数政党制への移行に踏み切った。
これに伴い結成されたFISは、1989年2月、アッバーシー・マダニー‘Abbāsī Madanī(1931―2019)を党首として結成され、同年9月に活動が認可された。多数の政党が設立されたなか、FISはその組織力、民衆へのアピールにおいてほかを凌駕(りょうが)し、1990年6月の地方選挙では予想を上回る結果で大勝した。その後、FISを不利にする選挙区改正をめぐってのストライキでFISの指導者が逮捕されるなどの緊張状態が続いたが、1991年12月の第一次国民議会選挙でふたたび大勝して430議席中193議席を獲得し、翌1992年1月の第二次選挙で過半数を獲得することがほぼ明らかとなった。しかし、イスラム政府の出現を恐れた軍隊がこれに対応してクーデターを起こし、1992年1月11日に大統領が辞任、選挙は中断された。このことによりFISは非合法化され、大量の指導者、党員が逮捕されることになった。以降、軍事政府のFISへの抑圧、FISから派生した武装グループのイスラム救国軍(AIS)や武装イスラム集団(GIA)などの個々に独立したイスラム過激派の武装抵抗が連鎖して起こった。この内乱で10万人以上の犠牲者が出たとされる。1996年には憲法改正によって宗教に基づく政党は禁止され、翌1997年の国民議会選挙では政府勢力が圧勝し、FISの影響力の後退は明らかとなった。1999年の選挙によって大統領となったFLNのブーテフリカAbdelaziz Bouteflika(1937―2021)は、抵抗を続けていたAISとの交渉で武装解除に成功し、翌2000年までにAISのメンバーをはじめ、他の多くのイスラム武装勢力の服役者に恩赦を与えた。また、2003年には1991年より監禁あるいは軟禁状態にあったマダニーと副党首格のアリー・ベルハーッジAli Belhadj(1956― )が釈放された。
FISは狭義のイスラム原理主義の組織というより、イスラム穏健派から急進派まで幅広い層を含んだ組織であり、名前の類似性にもみられるようにFLNの包括的、民族主義的性格を継承していた。イスラムの政治的な役割やその適用手段などをめぐって党内で多種多様の意見があり、合法活動の期間が短かったことも加えて、具体的な政治や経済体制、社会政策は明らかではない。支持層に関しては都市と農村の差はないが、青年層、とくに無職の若者の支持が目だった。
[池田美佐子]